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2011年12月18日 (日) | Edit |
違った、ウロコ
すみません、キリスト教学とかやってない人にはわかんないギャグでしたね(笑)

先日、海外の掲示板なんかを訳してネタにしているサイトで
こいつぁ卓見だ
と、おもわずひざをたたいてしまったんですが
普段から自分で言ってるのに、なんできづかないかな
やはり、文化圏の違う人の視点って大事なんだな、と思います。

モモンガの話なんですが
あれっ、モモンガってわりと全世界にいなかったっけ?
と思ってましたが、いるにはいるけど意外に知名度が低いらしい。
日本人はたいてい知ってますよね、モモンガ。
で、それを見た反応というのはやはりというか
「なんだこのかわいい生き物は」
といったもので、小動物をかわいいと思うのはどこの国も同じなのだなぁと思っていると
注目されたのが



モモンガってたしかに、リスの仲間でも飛びぬけて目が巨大ですが
(まあ、夜行性ですし)
ああ、やっぱ目が気になるのかあ、と思っていると
紹介されたのは日本モモンガだったので、書き込んでいる人は日本固有の生き物、という認識という前提で
(モモンガはアメリカにも大陸にもいます。ただ、もっとネズミっぽいですが(笑))
「なんで日本のものはすべてかわいいんだ」
というリアクション。
む? 念頭においているものの気配がなんか想像つきますが
「こうしてわれわれはアニメのインスピレーション元を見つけたのであった」


なるほど!


アニオタだったか!!


ま、そこはおいといて(笑)
確かに、ヨーロッパなんかに比べると、生き物のほとんどが、ミニマムな国土ということもあり、日本人は生まれたときから、そうした小さな生き物への親しみを感じてますよね。近所に牛とか普通いないし(笑)大型犬すら怪しい。
小さな我が家でかうとしたら、小さな動物。べつにかわなくても、日本人が子供のころから「かわいい」とインプットされているものは、基本的に自分の周囲の環境に住んでいる、小さな生き物たちですよね。
ああ確かにいわれてみると、日本人の文化の中にある、かわいいものDNAには、メダカとか、モモンガとか、そうした小動物が基本情報としてインプットされているのかもしれない。
「日本人が擬人化すると、いつも小さい女の子だよね」
と、別にところで突っ込まれていて、そのとおりだと思ったんですが(笑)、それもたぶん、小さくてかわいいもの、というイメージが女の子に投影しやすいからなんでしょう。人間を動物化する際、亜人種としてリ・イマジネーションするのではなく、ストレートに人間の延長(というかコスプレ)にしてしまうのも、そういう投影なんだろうな、とはおもってましたが。

日本のアニメが海外に飛び出していったころは「目が気持ち悪い」ということで、特に欧米ではかなりの拒否反応がありました。
そのため、ストレートに欧米市場を狙うときは目の大きさをぐっと小さくする、といった配慮があったのですが
目に対しての悪感情をもっていない(あるいは希薄)民族って、意外に少ないんですよね。

邪視(WIKI)

まあ、今のアニメとかだと普通に設定として飛び出してきますけどね(笑)
そのため、目に特徴のある生き物は嫌われる傾向にあり、B級映画で昆虫が悪役として選ばれることが多いのも、あの巨大な複眼のためです。日本では逆に、目は悪意としての重要な意味づけが必ずしも高くはないので(妖怪とかにもいますけど)、悪役だから目がでかい、ということはありません。大きいのも小さいのも、モチーフにした生き物に依存してます。
もうひとつが「ぬるぬる」で、これはおそらく、ヨーロッパ人の食生活に起因する、腐敗についての忌避だとおもいますが、まあ本筋ではないので割愛。
ピンと来る方も多いかと思いますが、そう、あれですよ。グレイタイプエイリアン。あれこそ悪意の典型的な擬人化で、そして欧米人には日本のアニメの、ことに女の子はあれに見えているのです。いや、「いた」と過去形で話すべきですね。

リアルタイムで欧米のジャパニメーションサイトの変化を見てきた感覚からすると、既に日本人のこの造型感覚は、受け入れられています。既に記号として「かわいい」というカテゴライズにはいってます。もっとも、欧米人すべてかというと、まだまだそんなことはないとおもいますが(笑)
じゃあベティ・ブープはどうなんだ。私あれ、気持ち悪いんだが(笑)
大きさの比率でいうと大差ないはずなんですが、頭蓋骨の大きさに比して異常に目が大きい、というところがポイントのようで、なるほど、そう考えるとベティって頭蓋骨もでかいな。

近年では、普通にアニメ絵がかかれてます。やや感覚の違いに戸惑うものもありますが、かなり忠実に再現した「けいおん!」のエロ同人には小一時間ほど笑かしていただきました。おかしいのは、なにがなんでも1フレームに全身入れる表現の差なんですよね。漫画とコミックの違い。まあ、だからスピルバーグなんかは映画オタに嫌われるのかもしれませんけど。
ま、そうした経緯があるので、やはり「頭蓋骨が小さいことには抵抗がある」というのがあるため、時々妙な、日本人には想像もつかない造詣の化け物がいたりはするのですけど(笑)あれ、かわいいと思って描いてるんだろうなあ。

こうした記号化はある程度「慣れ」の問題であり、欧米では「きもちわるいもの」のカテゴライズに入る虫(The Beatles)蛇(モンティ・パイソン)ネズミ(耳がでかくて黒いやつとか、マイティマウスとか)なんかは、もう元ネタとは切り離されてますよね。ま、パイソンズはそのままという気はしますが(笑)
いったん記号として定着してしまえば疑問を感じないし、そこに特別な意味を求めません。
そのあとで、変な解釈をして揶揄することはありますが。カルピスのマークとかね。あれは南洋幻想で、むしろ健康的なイメージだったんだがなあ。
「見方」を変えてしまえばどんなものにも難癖をつけられるというのは、表現ということについてまわる問題で、常に表現の自由と、そういう「独自の解釈をグローバルに拡大したがる狂信者」との間で熾烈なやり取りがあるのですが

土人表現なんかもそうですね。どこまでが差別的で、どこからがそうでないのかを線引きするのは難しいと思いますが、近年のハリウッドを見ていると

「白人のように」ビシッとスーツを着こなし
「だらしない白人と」セットで謹厳な役を演じ
「白人の」支配者をぶっ飛ばす

のような、かえって差別的な表現が目に付きますが
これってつまり、白人化した黒人だけに市民権がある、と遠まわしに言ってるよね?
黒人映画の現代版だと思うのですが。ここに気持ち悪さは感じないんですかね。
否定、画面からの消去ってのは逆に、陰湿な表現に摩り替わるだけで、本質は何も変わりません。
女性の表現もそうですが、ベティはそのためにセクシーな衣装を脱がざるを得なくなります。いつもおもうけど、ボディライン出すことって差別的かぁ? 逞しい男に批判はこないのに。セックスを売り物にしている以上、その表現は当然の帰結という気がするんですが。隠したって女は女だろ。

じゃあピクトグラムにすればいんじゃね、って話ですが
アニメってのは、ピクトグラムとリアルとの、中間表現みたいなものですよね。本来は。
男と女を表現する場合、三角形を使用すること多いですが
あれだって突っ込めば

尻を大きく表現するなんてエロい

ということもできるわけで
視覚化する以上、特徴の戯画作業はそもそも避けて通れないし、違いを盛り込まなければそもそも差別化できないことになる
なにより、視覚的に直感的にわからないと、差別化する意味がない
まあそもそも、区別と差別との差のわからんひとが、気がくるって物言いだすとこまることがおおいんですよね、表現については。
表現を規制しよう、と言い出すとき、結局具体性にかけてしまって、いっしょくたになんでも禁止してしまおうとするのは、線引きの難しい問題だからこそ、なのはわかるんですが
うーん、本筋から離れているのでここらでやめておくか。
でもあれですよね、アニメでぱんつみせちゃだめでしょ、とか必死で主張する人たまにいますが
まあね、私のように、性的な記号がむしろウザイ、という人間にとって、そのへんは感覚的には同意なんですが


ミニーマウスがパンツ丸出しなことにはつっこまないんだよな、そういう人ら


表現を規制する、てのはつまりそういうことで、都合よく例外を作ってはいけないし
怒るのならミニーマウスの表現についても怒らなければならない
「過剰な演出に抗議している」
とよく問題を摩り替えようとするのだけれども
いわんとしていることはわかる
でも、結果としてやろうとしていることは、いつも「すべて禁止」に流れてしまうということ
ここまで生きてきて、いろんな規制の流れを見てきましたが、べつに過剰な表現でもないのに、「こういうのは自粛しよう」という声が出ると
あれもだめ
これもだめ
と自治を開始する人たちのヒステリックな声が、必ずあふれてしまう
必ず、ですよ
で、こういう人たちには何を言っても無駄なので、たとえば出版、映像、そうした企業は

めんどくさいから全部禁止してしまう

でも、たとえばぱんつだと、ミニーマウスだけは例外になる。それはなぜなのか、ってところに、そもそも問題提起の時点での気持ち悪さというのは、感じないといけないのじゃないかと、そんなことをおもったりもするのです。
最近はミニーもあまりぱんつみせないみたいですけどね。
でも、ちゃんとミニーを真っ黒に塗りつぶさないとだめだと思います。

ま、こんなこといいながらも
学園黙示録をなんとなく11話まで見たんですが
(12話までみかけていたんですが、PCがファビョッてしまい断念。クリーンインストールかましても、どうやらもう無駄らしい。それ以前からするとマシなんですが(笑))


乳とパンツうぜぇ


おもしろいんだけど、心底は楽しめない。
なにより、やっぱゾンビネタってあかんわ。冷静に見てしまう。
ゴブリンっぽいイントロなんかは卑怯だろ、とか、ニヤニヤしながらは観てましたが(笑)

限界のあるアニメの表現でやると、車の動きが特にマンガマンガしすぎてしまって、高まった気分が一気にしらけてしまう。
それ以外の部分は、漫画的な表現ってまったく気にならないんだが、不思議なものだ。たぶん、私がハリッキー世代だから、実車の動きってもののリアリティが脳内に刷り込まれすぎているからの感覚なんだろうけど
モチーフ的に、中途半端なリアリズムで取り組むと、すべてがうそ臭く見えるんだよなあ。いっそ、頭からアニメ的演出で押していったほうが、作品世界にぐっと引きずりこめるような気がするのだけど。
ただ、これは老害な世代の感覚というもので、実写映画よりもアニメに強く親しんでいる今の世代の感覚とは、まったく違うはずだと思う。というか、現在の実写映画も、広義にはそのへん「アニメ」だしね。

すくなくとも、この素材をアニメーションにしようと考えたこと、そしてその表現そのものはしっかり成功していることは、ちゃんと言ってかかなればならないように思う、そんな作品でした。
でも、やっぱりジャパニメーションはメカなのな(笑)
そのへんはやっぱり、欧米人よく観てると思う。「ここがへんだよ日本のアニメ」ってポイントなのだろう。
たぶん。

ああひとつだけ突っ込んでおくと
虚構に引き込みたいのか
リアルな世界をアニメの中で再現したいのか
そのへんがいちいちあいまいな気がする。
中途半端にリアリティを持ち込むから、作品の不自然な設定が、どうしても鼻についてしまう。
設定ありきの日本人がゾンビをやるとどうなるか、という面白さはあったんですが。
ドラマに関しては、文句なく面白かったですよ。
あと、平野はいいな。やつはすごくいい(笑)
作品の中で唯一素直に好感持てたのはこいつだけでした、私の場合。
主人公、少し黙れ(笑)
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