りせっとさん
「何故あなたは都合よく過去を忘れるのか」「そこにリセットボタンがあるからさ」-ジョージ・マロリー(仮)-
やっと機能回復したか
FC2もやっとコメント機能復活したようで
まあ、うちはスパムもこないようなブログなんで、削除の手間なんかは考えなくてもよかったんですが(笑)、あるものがないのは不便ですよねえ。

てなわけで、暑い。

隣の部屋ではストーブついてたりもするので、私の感覚がどこまで正常なのかわかりませんが。

連休ってことで、映画のはしごでもするかと
(いつものことやん)
動画化しておきたいビデオをひっくり返していたところ
そうそうこれこれ。みようみようとおもって中古で購入したはいいけれど、一度も見たことないんよなあ、ロメロの作品の中で。
そんなことをおもいつつ、冷やかし半分に見始める。


どっぷりはまる。


イヤー、面白いわ「モンキー・シャイン」
何で見なかったんだろう
私猿嫌いだからなあ(笑)

うまいよなあ、と馬鹿のように感心しながら
(でも、脳汁注射しただけで知能高まったり、テレパスになったりして???、なんですが、相変わらず「理屈なんてしるか、そういうものなんだよ」という、投げやりな力技が心地いい)
知能をもったおさるさんが人を殺す、というお話で
数年前の「フェノミナ」を意識したのかなんなのか(少なくとも観るほうの私は意識した)、おなじおさるさんをギミックとして扱った映画ですが、こちらは徹底的にグロテスクなシーンは控えめに(せいぜいが手術シーンくらい)、役者も安いし、映像にもまったく金かかってないし、インディペンデントの匂いがプンプンする映画で、ああ、ここがこの二人の方向性の違いだよなあ、なんてことを思いながら見ていたのですが
(ならなんで「サバイバル・オブ・ザ・デッド」は映像的にああなんだ、てのはいわない方向でひとつ(笑))
しみじみうまいよなあ、と感心させられたのが、この手の作品の企画に取り組んだら、ほとんど当然のようにギミック、つまり、「猿が殺人を起こす」ということに熱中して、その動機やら、原因やら、理屈やらに熱中してしまい、結局は薄っぺらなものになってしまうところを
あえてそこには踏み込まずに、後半やや舌たらずにはなって行きますが、本能というところに焦点を当てて物語の軸にするあたりなんざ、さすがは社会派の面目躍如といったところで
まあ

そのせいでなんだかわからない映画になってるのも確かなんですが

でもなんか、アニオタとか特撮オタの作った「設定を聞かされるだけ」な山場とは違って、よくわからないものはよくわからないまま、恐怖演出のほうに集中させてしまうってのは、やはりすごいことです。
突っ込みどころだらけなのに突っ込めないんだよな(笑)
アルジェントはそのへんの理屈が好きで、いかにもオタ好みなんですが(当然私も好き)、あの人の場合、その上に殺人電波が乗っかっているので、真性のキチガイに刃物もたせたような作品になりますが、ロメロの作品は、どんなに狂っている作品でも、どっか理性的です。精神の平衡はおかしくない。状況考えると、狂っていても不思議じゃないのに(笑)

ロメロにしては、ハッピーエンドなのも珍しい。普通の映画も撮れるんじゃん、という感想は、たぶんここから来るんでしょう。
全然ギミック部分に踏み込んでいなかったり、博士の上司は薬盗むためだけの存在で、なんであんなに出番多かったのか首ひねる展開とか、突っ込みどころ満載なのはいつものロメロの作品なんですが。
でも、不思議と破綻している気がしないんだよなあ。
無理に鑑賞はしてるんですが、どうにも最近邦画を見ていて寝てしまうのは、たぶん「理屈っぽい」、この点にあるような気がします。
謎解きとか、種明かしの楽しさってのはあるんだけど、なんでもかんでも名探偵コナンみたいな映画じゃなあ。

特撮をどんどん見なくなっているのも、多分そこで
「だからさ、設定はもういいからちゃっちゃ話すすめようよ」
というのがあるせいなんだとおもうんですが
設定とか人間関係を大切にしたいって気持ちは、物を書く人間の立場からするとよく理解はできるんだけども
映像にしたとき、それがいるのかいらんのかってのを切り捨てられる監督も必要だよな
とかはおもうのです。特に特撮に。
アニメはまあ、映像に限界がなさそうであるから、ト書きで説明しなきゃわかんねえ、てものはおおいので仕方ないですけど。
(とっぴな設定を持ってきすぎるから)
どうもこう

1行でまとめろよ

と、いらっとくることが多いので
そんなときはザボーガーとかを見て癒されるのです。
いいだろべつに。銀行強盗をしようとしているからとめるだけとか、武器作るためになんかの金属盗むだけって話で。銀行強盗する動機とか手段、金属の化学組成とかはいらんだろ。マクガフィンになんでそんなに凝る必要があるんだ。
マクガフィンがなにかのオマージュになっているのなら別だけど(笑)

評価される作品の基準が、なんかおかしくなっているような気がしています、最近。まあ、オタブログなんかがそういう部分に突っ込むのは、作品を批判することで自分の評価を相対的に高めよう、てな下心があるから、ドヤ顔になるのはわかるんですが。作り手がそれに引きずられたらあかんやん。
過去作品の「脚本がすごい」ってものと、今のそれとの質を比べてみれば、そのへんわかりそうなもんだけどなあ、なんぞとぶつぶついいながらアニメを見ている私の姿も、じつのところ、そういうブロガーと大差なかったりするんですが。
まあ、類友だよね。
どうもこう、絵をかけるとか、文章をかけるとかいう「技術」に対する信仰が行き過ぎてる感を感じるんです。
この人の脚本ならいいものになったに違いない、とか、この人の脚本だから面白い、というような、パーツの視点から決めてかかるのはなあ。


まあ、ラリー・コーエンて書いてあったら私も見ますけどね


でも、ある作品に対して、この人に脚本をさせたら、きっといいものになる、なんてことを真顔で語る人に出くわすと、こいつ狂ってるのか、とは思います。
ファンなのは別にかまわないけど、小説のような個人作業と映像作品は別物だぞ。
ウルトラマンだって、誰か一人の頭の中から出てきたものじゃないんだし。比重、てのはあるけども。
「痴漢ドワーフ」みて寝ます。

gsv01.jpg
そんなこといって「Gセイバー」みてしまった俺の馬鹿

Gセイバーってなんか
トランス・モーファーとテイスト似てませんか
似てないかそうか。
コメント
この記事へのコメント
コメントを投稿する
URL:
Comment:
Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可する
 
トラックバック
この記事のトラックバックURL
http://roboko.blog41.fc2.com/tb.php/906-5fd23959
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
この記事へのトラックバック