りせっとさん
「何故あなたは都合よく過去を忘れるのか」「そこにリセットボタンがあるからさ」-ジョージ・マロリー(仮)-
3日間で
アニメと映画を40本見るという罰ゲームのようなことをしていますこんばんは。

通なんかには常識なのだろうけれども、なんか、こういう見方をしていると、今まで気づかなかったことがみょーに気になりだすのです。

ま、それはそれとして。
セキュリティの話をしていたりすると、とてつもなくレアなケースや、実際的にはどうなんだろう、というハッキングの手法をドヤ顔で語る人たちが出てきますが
いやま、映画でもなんでもそうなんですが(笑)
素人の私なんかからすると「よくそんなことしってんなあ」と感心するので、大半の人はすごいなぁとおもうだろうし

本人もそう思ってるからドヤ顔なんだろうけれども

一度冷静になってみると、それを現実味のあるものにするためには、とんでもなくレアな諸条件が整わないと無理だったり
そもそも過去にはそういう事例があったけれども現在では杞憂に過ぎないレベルのお話だったり
ようするに、知識に頼ってしゃべっているので

オチはいつも同じ

というもので
なんですか、うちのブログの話ですか(笑)
まあそこはおいとくとして、結局「知識があるだけの人」ってのは、字引としては使えるけれども

それ以上の領域では邪魔でしかないんだよな

だから映画の中で、なんとか博士とかなんとか教授ってのは
「そんなことはありえなうわー」
って死んで行くのかなと、変に納得しました。
やくたたないよな、あのひとら。
必要なのは可能かどうかって議論ではなく
実際的にどうなのかなんだよなあ。

で、気づいたことというのは
アニメとかで、爆発ありますやん。
こう、たとえば洋館が爆発炎上して
橋が落ちてみたいなかんじで。
あれってたとえば、建物の全景だけでも

玄関から火が噴出すところを描く
俯瞰で洋館全体が火に包まれているところを描く
特に激しく爆発する部分を描く
崖下から描く
最後に抱き合う主人公たち

みたいなかんじですよね。
でもあれ、冷静に考えるとべつに必要ないですよね。
主人公目線でカメラおっかけさしてもいいわけだし
(昔の日本アニメーションみたいに)

でもあれってのはもともと、特撮の手法が元になっていて
特撮では、ミニチュアにしろ実物大のセットにせよ、爆破できるのはほぼ1回のみ
くわえて、爆発ってたいてい1秒くらいでおわってまうんですよ。
しかしそれじゃ盛り上がらないから、あらかじめ数箇所にカメラをセットしておき、その爆発を撮影して
で、編集することでそのシーンを引き伸ばす、という必要性から生まれたものなんですが
逆にあれが画面としてスタンダードになっているから、ああいう演出でないと

なんとなくおちつかない

という気持ちになってくるから不思議だ。
昭和の、特にやっとカラーになったころのアニメ映画を見ていると、この演出法にのっとっていないことが多いので、なにか不思議なものを見たような感じになる。
しいていえばそう、CGで構成された、ゲーム画面と印象が似ている。
あらかじめ、カメラの動く方向、位置が決まっていて
それに沿って背景、キャラクターがすべるように動いていく
この違和感っていうのは、なんかおもしろいなあと。
もっといろんなものをみなきゃだめだな、なんてことを思いました。

もうひとつ気づいたというか、思うのが、やはりアニメの台詞
よく、説明的なのはアニメに必要な演出の手続き、てのを私もよくいいますが
雑誌なんかの特集でもありますやん

心に残る名台詞

確かに洋画でもありますよ。Go ahead. Make my dayとか。
しかし、日本語ってのが表意文字だからなのか、とにかく名台詞の洪水がすごいなぁと
30分の中にいったいいくつ名台詞があるんだろうって感じの、名台詞の大安売りみたいなかんじで
このあたり、やはり古いアニメを見ていると、こっちはアニメーション、ようするに「絵で表現する」ということに対するこだわりが強いからなのか、洋画と引き比べてみても、違和感を感じないんですよ
いやま、最近はハリウッド映画もよー喋りますが(笑)
たとえば気に入った作品、好きな作品を表現するとき
映像を見て、その魅力を自分の内部で消化して、自分なりの言葉で反映させるよりも
簡単に名台詞に代用してしまったほうが、万人に伝わりますよね
漫画もあまり動かなくなって、やたらしゃべるようになりましたが
作品そのものが、個人が鑑賞し、個人が消費するものから
集団で鑑賞し、集団で消費するものへと質的な変化を遂げていっているのかなと
なんか、そんなことをおもいました。
脚本家が台詞に頼るのを、今までは単なる手抜きだと思ってましたが
ひょっとするとそういうことでなく、時代的な要請にしたがって、よりメッセージ性の強い
絵のついた活字
に摩り替わって行ってるのかなと
ようするに、作品そのものが映像ではなく、文字文化なのかなと

今日はとどめに「荒鷲の要塞」で仕上げをしたのですが
ほとんど活躍しないクリント・イーストウッド
ものすごく活躍するけどおっさんなので今的には華がないリチャード・バートン主演のアクション・スパイ・センソウ映画
(盛り込みすぎ)
しかし役者出身のブライアン・G・ハットンは、監督のほうにむしろ向いていたのか、リズム感のあるアップテンポな編集と、数分おきにサスペンスを盛り込むサービス精神、なにより、伏線の見せ方が巧みで、観客は「これは何のシーンなんだろう」と頭を悩ませるのですが、次の瞬間にはまた山場が来るため、心に引っかかったままラストまで引きずられ、一気に種明かしをされる爽快さのある演出は、アクションにもコメディにも冴え渡って、どの作品も十分楽しめる、稀有な才能の持ち主なんですけど

なぜか知名度が低い

うーん、なんでなんだろう。手堅すぎて地味なのかな? とおもっていたのですが
今日改めてみていて思ったのは

まあ喋らない喋らない

英国特殊部隊の隊長バートンと、アメリカ空挺部隊のイーストウッドの掛け合いを楽しむ作品、と、普通は思うじゃないですが
イギリスの作戦に、なんでアメリカ人が? というところが作戦のミソなんですが
物語りも中盤に差し掛かり、バートンがようやく「アメリカ人の君を呼んだわけは……」


そこで切るのかよ(笑)


とばかりに、酒場の喧騒にまぎれて二人のやり取りがまったくぶちきられてしまったりするんですよね
映画的な演出面からすると、最高なんですが
スターシステムから考えると、ここは二人のスターがなんかかっこいい台詞をいうシーンですよ

そういうシーンがすべてすっ飛ばされる

映画は面白いんだけど
スターが光らないんだこの人の映画

映画的な演出で言うと満点なんですよ。
非の打ち所なく面白い。
でも、娯楽映画的なお約束を、次々と無視していくんですよね。

悪役が死ぬシーンをカットしてみたり

好みでいうと、こういうストイックな編集は大好きなんですが
興行的にはどうなんだろう(笑)
なんとなく、知名度が低い理由がわかったような気がします。
気がしているだけですが。
(ドヤ顔)

あとたぶん、舞台劇の演出なのが、落ち着きすぎて映画映えしないのかもしれませんが。
でも「戦略大作戦」はそんなことなかったよなあ。
ドナルド・サザーランドが暴れすぎて、そういう気がしているだけなのかもしれませんが(笑)


すごい やすいです

ていうか投げ売られすぎ。
しかしなんか、魅力のないパッケージだよなあ。
二人で並んだポスターのほうがってあれ、ビデオ版あの絵じゃないな。私何の絵を覚えてたんだ?
欧州版のポスターかいな?
全然いいところのないクリントってのが、知名度の低さの一因なのかもしれませんけど。
殴られる
けられる
爆弾仕掛ける
だけどバートンについていく
お前はピクミンかよ。


現在の荒鷲の要塞らしい

春だなあ。冬だといい雰囲気だと思うのですが。
関係ないけど、私高所恐怖症だから怖いんだよなあ普通に、ケーブルカー
そのわりにはモノレールとかジェットコースターすきなんで、ほんとに高所恐怖症なのか怪しいところもあるんですが。
「画面に出したものはとりあえず小道具として使う」というのが、この人の演出の気持ちいいところで
モノレールでたら、ちゃんとでるんですよね。
あれっ、ヘリコプターは?(笑)
コメント
この記事へのコメント
コメントを投稿する
URL:
Comment:
Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可する
 
トラックバック
この記事のトラックバックURL
http://roboko.blog41.fc2.com/tb.php/872-773da41d
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
この記事へのトラックバック
管理人の承認後に表示されます
2011/07/11(月) 08:33:46 |