りせっとさん
「何故あなたは都合よく過去を忘れるのか」「そこにリセットボタンがあるからさ」-ジョージ・マロリー(仮)-
あんまりとち狂った更新しているのもなんですが
被災地の友人が「もうこんなに経っちゃったのか」みたいなことをいっていたのを耳にして
あのときのショックを思い出す。

逆に被災者の方は、あの瞬間のパニックというものは、よくわからないかもしれない。

マスコミがまず混乱し
行政機関がパニックをおこし
さらにマスコミがとち狂う
そうした動きにもっとも過剰反応する都民が、ほとんど狂ったとしか思えない行動に出る
そんな中、もっと冷静に画面を眺めてもよさそうな西日本の私たちは
あまりの情報の少なさ
あまりの光景
すべてがおかしくなっているTV画面を前にして
「戦争が始まったのか」
とでもいうような、絶望感に打ちひしがれる
リアルタイムに友人との連絡が途絶した私にとっては、人事ではなかったというのもあるのでしょうが
今でもあの瞬間を思い出すと、体験したこともない開戦初日、といったような、脱力と無力感を感じてしまう
まあ、それでおもったのはやはり

真っ先に気が狂ってしまうのはだめだよなマスコミ

現地の状況を伝えるのに、迫真性を持たせたいのはわかるのだけれども
興奮しすぎたリポーターに、なにかボタンを掛け違えたようなことばかりを連発するアナウンサーという組み合わせは、あれではパニック状態にならないほうがおかしい
宮城で震度7が出ているというのに、都内の震度4を、まるで大地震が来たかのように大騒ぎして報道していた様子は、さすがに現地にいない私でも怒りを覚えるほどだったし
そんな中、リポーターが興奮しすぎて何を言っているかわからない状況の中、「場所を知らせてください」「付近に目印といったものはありますか?」といった、冷静なツッコミで状況を整理しようとしていたJNNには、非常に好感を抱いた。
現地の人たちが、とにかく家族に安否を知らせたいということで、報道枠をばっさり切る形で(まあ、ケーブルだからこそできたんでしょうが)避難所から直接、被災者の方の声を届ける試みを行ったのも、たぶんJNNが皮切りだったんじゃないかなと
こういうときに、どういう対応をとったのか、そのことで随分と見方が変わりました。まあ、JNNもいろいろとやっちゅってましたが(笑)、失点を補う程度には、報道の責務ってやつを果たしたんじゃないですかね。

結局、もろもろの失言なんかは、報道協定でも敷いたのか「なかったこと」になってるような感じですが、実際なあ、取材される側で何度か付き合わされたことありますけど

ひどいこといってるからなぁ現場は

しかも聞こえていないつもりで喋ってるんだけれども、みんな異様に声がでかいんだよね(笑)
俺が俺が、という職場だからなのだろうけれど、いい意味で馬鹿、という木もするし、悪く言えば、空気を読めない、ともいえるし
ただ、そうした本音の部分と、取り繕った映像との間には、やっぱり見る人が見れば作為の痕跡がありありとしていて、ああ、捻じ曲げようとしてるんだな、というのは感じますよね。
それが常態化しているのが、こと報道という部門なんだと思いますが、あまりにも人が亡くなりすぎて、作為に共感できないというよりも、冷静に見てしまう人が増えたために、結局、事件を取材するのではなく、事件を作ろうとする姿勢がはっきりと目に映ってしまい、都とほかの地域との温度差、みたいなものが歴然としてしまったような印象はあります。
西は西で、マスコミの狂態を見せられた後、全貌が次第に明らかになっていくにしたがって、「震災のドラマを作ろう」という方向性、流れのようなものがつけられていく過程をまざまざと見せ付けられたせいで、やはり都のようには反応できなかったし、悪く言えば、現地から入り始めた、冷静な被災者の声との落差に、幻滅したといったほうがいいのかもしれませんが。
その後「いい話」を拾い集めて報道する姿勢に「取り繕っているな」という印象を受けてしまうのも、仕方のないことという気がします。

かといって「だからマスコミは仕方がない」ということでもないんですよね。
いち早く、そうした部分に気がついて、行動を起こしたところがあるのも事実ですし、それによって救われた人たちも、少なくはなかったはずですし。
ただ、日本中のかなりの人が、マスコミや、企業や、行政に対して興ざめしたのは確かなことで、だからこそ、この状況でも冷静でいられたのかもしれません。皮肉な話ですが。
「当てにならんものを当てにしても仕方がない」という割りきりが、なんか感じられたんですよね。

もう終わったことのように報じられてますけど、相変わらず余震はあるようですし、なにより、ライフラインも完全復旧したわけではないですし、やるべきことはたくさんあるんですよね。
だから自粛を、なんてあほなことをいう人もいますが、あれなあ、なにもしないことの言い訳に聞こえるんだよなあ私には。
べつに、ボランティアに出かけたり、寄付したり、献血したりすればいいってもんでもないですけど、きれいにとりつくろって「震災なんかなかったことにしよう」といっているように聞こえて仕方ないんですよ、個人的には。
慎んで何か変わるんならそうしたほうがいいですけど、慎むことでなんもかわらんでしょう。なら、その選択は間違ってますよ。
必要なのは、自己満足ではないですし。本人的にはそれで「なんかした」気分になれるのだから、それでいいのかもしれませんが。
まあ、もっとえらい人が「そうじゃない」といってるんだから、そうじゃないんでしょうけど、精神論じゃ腹は膨れませんからね。
そういうのは、時と場合による。
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