りせっとさん
「何故あなたは都合よく過去を忘れるのか」「そこにリセットボタンがあるからさ」-ジョージ・マロリー(仮)-
くぬるぷ
いくら適当につけているといっても、最近そのてきとうなタイトルすらおもいつかなくなってますこんばんは。


GYAOで「荒鷲の要塞」やってんだよなー


以下略。
それじゃだめか(笑)
「荒鷲の要塞」は、クリント・イーストウッド、リチャード・バートン主演の、なんだろう、スパイ・アクションといえばいいんだよなあ。
時は第二次世界大戦。ドイツ軍捕虜となったアメリカ軍の将校救出という、まあ、アイデア的にはじつはポール・ニューマンのコメディのほうが好きだったりするんですが、ネタ的にはよくあるものです。
基本的にはアクション巨編を期待してればいいんですが、なんかブログの感想なんかみてると、結構的外れな気がするんだよなあ。結局、こいつの目的は本当はなんなんだ? てのがあいまいなまま、状況的に行動を共にしている人間関係を楽しむべきものだってきがするんだけどなあ。
内容的にはかなり卑怯くさかったりはするんですが(笑)
ほかにもトンチキで的外れな感想なんかが多い作品ですが、まあ自分でこういうことをやってていうのもなんですが、作品鑑賞する上で枝葉にこだわりすぎなんだよ
私は「つっこみどころ」としてよくとりあげてはいるけど、それをイコール作品の質には結び付けてない、というか、そのつもりで書いているのだけれども(勿論嫌いな作品についてはその限りではなく、揚げ足取りのネタにはするけれども)
枝葉がすべてっていう、いかにもヌルオタっぽい鑑賞スタイルはやめたほうがいいとおもうんだ。そういうものが、作り手を萎縮させているわけだし。
マジンガーZみてて、パリーンと割れるバリアがでてくるから作品としてダメだという話にはならないだろう?
なんかいってることがちぐはぐなんだよなあ。
好き嫌いってのは主観的なものだから、それはそれでいいんだけど、よしあしはそんなもんではかれるものじゃなかろ。しょーもない批評家気取りで、的外れな作品分析すんのはやめようぜ。

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だからってなんでこんなものみてんだ私は

なんかこうしてみてるときんたまみたいでかわいく見えてきませんか
そんなことないかそうか。

うちみてるような人には愚問だけど、映画全く見てない友人も読んでるので念のため。「顔のない目」ならぬ「顔のない悪魔」
「宇宙家族カールビンソン」のリスのター君の元ネタでもある。かなり馬鹿にされる映画だけど、コマ撮りでぷちゅっと潰れたり、何度も何度も同じ襲われ方をするヒロインの一人芝居なんかは結構ぐっとくる。世間的にはどうなのかしらないが。結構フェイスハガーの原点だとおもうんだけどなあ。
建物の中に閉じ込められて、窓に板打ち付けてるんだけど、そこを破って進入してくるさまは、きっとゾンビの原イメージだと思うし。入ってくるのがでっかいきんたまの出来損ないなのがあれですけどね。
しかしこういう、「徹底的に感情移入を拒否したモンスターの存在」というのが、洋物クズ映画を見る理由だったりするのですが。「宇宙大怪獣ドゴラ」ですら、なんか人っぽいシルエットしてるじゃないですか。そういう点で、日本の特撮と海外怪獣映画ってのは、別腹なんすよ別腹。

こういう造型のものを動かそうと考えるアイデア、んで、こんなものが人を襲うという失笑ものの発想が、モンスター映画を楽しくする原動力なんではないでしょうか。いいんだよ。ハンマーで叩き潰されたり、ぽんぽん飛ぶだけのこいつらを、銃で撃墜するだけのクライマックスでも
ていうか、そんならショットガンで撃っちゃえよ
今ならともかく、ミニチュアと人物との合成というのはほとんど神業を持ってしないと不可能の時代だったので、そんなシーンは作れないんですが。なんかこういうものを「時代とか技術を言い訳にしている」とか、とんでもなく的外れな感想を述べている人もいますが、じゃあ君はあれか、シェークスピアを見て、なんで室内なのに全員観客のほうに向かって立ってるんだとか、城に壁がないのはおかしいとか言い出すわけか。言ってることはつまり、そういうことなんだがなあ。
ヒッチコックの「めまい」なんかで、ジェームズ・ステュアートがおっこってくシーンは、当時としては相当にがんばってはいるけれども、あれ、ばればれですが、あのシーンだけとりあげて「迫力がない」とか的外れな感想で作品評価してるやつがいたら、きっと大半の映画マニアは正気を疑うと思うんですが、今ブログなんかで「批評してるつもり」になってる、中途半端な理論武装したオタってのは、おおむねこんなこといってるきがするんですよ。技術と、作品の質ってものを混同してないか。そして、技術に突っ込みを入れられる(シナリオの構成や矛盾点も含めて)そういう自分の作業を、知的作業だと勘違いしてないか。
そういうのは知的作業でもなんでもなく、単に表現手法の差を比較してるだけで、分析にすらなってないんだけども。

たとえば落下シーンってことでいうなら、ほぼ同じ構図が「ダイ・ハード」にもでてくる。あれはアラン・リックマンをだまして、突然羽目板を取っ払ってそのリアクションを撮ったそうだけれども(ひどいことするよなあ(笑)ほんとかどうかはしらないけど)、そういう演出法や、ほかにも、カメラの差、たとえば動いてるのは背景なのか、人物なのかといったことも含めて比較するのが、最低限の「分析」で、その上で批判を加えるというのは、間違いなく批評なのだけれども、私みたいに「感じ」だけで、「これは古い合成だからだめ」とかなんとなくいってるのは、ただの妄言でしかない。私はそれ、わかってやってるけど。うまくいえないんだよ、馬鹿だから(笑)

表現手法の批評ってことなら、やっぱその程度のことは言って欲しいし、その上で「おおっなるほど!」とかうなってみたいというのが本音です。
えらそうに、よくわかんないがむつかしそうな単語並べてうんちくたれてるだけってのは、お世辞にもみっともいいもんじゃないよね。
私はいいんだ。そもそもそういう芸風でやってるから(笑)
馬鹿は馬鹿なりの芸風確立すればいいじゃまいか。


こんなもんがでちゃうってのは

いいことなのかわるいことなのか(笑)
私が「のうみそ」の絵ばかり描くようになったのは、この映画のレビューをどっかで読んだせいです。
というか、そこに添付されていた、こいつらの写真にしびれたのです。
すげえこわそうやん!

実際の映画は、こいつらでてくるまでに、ああでもない、こうでもないとだらだら演技する人間たちを眺め
やっとでたとおもったら、棒立ちで屋内に待ち構える親父に、ヘッドショットされる
やっと組み付いたと思ったら、いつもヒロインの首根っこ、しかも気持ち悪いだけで、ぜんぜん効いてないぞその攻撃!
(なので何度も襲われる)
低予算ということもありますが、演出がまだ、舞台劇との過渡期にあり、びっしり中央に寄り集まった人たちが、思い思いに演技して、冷静に考えると不自然なくらい横一列に並んでいる絵の異様さとか、もうたまらんちんです
最後溶けて消えるんですが、これがなんか、黒いぐじゅぐじゅしたのになっちゃう。これが黒いからそうでもないけど、ティッシュにぶちまけたザーメンみたいなんだよ
そんなわけで、あのしわしわ具合といい、なんか、きんたまにみえるのです。
のうみそならまだ怖いけど、きんたまはしょんぼりだよね。
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