りせっとさん
「何故あなたは都合よく過去を忘れるのか」「そこにリセットボタンがあるからさ」-ジョージ・マロリー(仮)-
ちゅーか
なんだろう、AEさんが面白い話をしているので、なんかまじめなことをかこうと思ったけど


まじめな話をするウチってのも、なんだかな


そんなわけで、いつもの調子です。
日曜は

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ロボ子萌え!


元祖ロボ子をみていたわけですが


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ブリギッテ・ヘルムの表情っていいよなぁ


舞台を経験した人は、表情やしぐさがどうしても大げさだったりしますけど
やっぱりめまぐるしく変化する「言葉」ってのを、全身で表現するのは、あのくらいなくちゃな、とか思います
しみじみ見ていて思うんですが、表現主義の直系の子孫って、アニメですよね
リスペクトしてる人が多いせいもあるとおもいますが、東西問わずに影響が濃いように思います
ま、それはそれとして



やっぱりロボ子は少し狂ってないとな



この映画を見るたび、そんなことをおもいます。
そんなこと考えるのはお前だけだっっー話もなくはないですが。

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一度見始めると似たような傾向の作品ばかり見るのが悪い癖で

ラングを何本か見ていたら、むしょーにモノクロの作品が見たくなり
よたよた歩くゴート萌え! とか、一般人にはまったくもって理解不能なことを口走っていたり
しまった、ラングやワイズを萌えで語ってしまった

ま、じつのところ、GYAOで「シンシナティキッド」をやっているのでそれどころではなかったりするんですが
この作品、というか、マックィーンの作品ほとんどそうなんですが、彼の演じるキャラクター同様、本人も負けず嫌いで、そのため当時トップスターであったポール・ニューマンを目の敵にしていまして
共にレースマニアなため、ニューマンが「レーサー」(1969)を撮れば「栄光のル・マン」(1971)を
脱走、をキーワードに、自由への飛翔を描いた「栄光への脱出」(1960)を撮れば「大脱走」(1963)を
という具合で、ついに「タワーリングインフェルノ」(1974)では、遥かに遠い目標であったニューマンと肩を並べて主演するまでに上り詰めた根性の人
そんわけで「ハスラー」(1961)に対抗したのが本作(1965)なのですが(笑)
基本的なストーリーもほぼ同じ、にもかかわらず、両者から受ける印象はかなり違っていまして
双方のファンである私としては、それぞれに味わいのある作品
なんだろうね、ドラマってこういうものなんだよ、としみじみ思わせてくれる作品なので、ついついどっちも見てしまうんですが
「ああ、マックィーン的にここはこういう演技なのか」みたいな対抗心が見えて、いいんですよね(笑)
「荒野の7人」でもそうですが、当時トップスターだったユル・ブリンナーと肩を並べる役柄を得たことで満足せず、あくまでも自分が主役を食ってやる、という対抗意識がむき出しの演技がちらちらあったり、とにかく画面の隅々で、自分に視線を集めるための細かい演技をしているところに、惚れ惚れとしてしまうわけですよ。
かといって、単に目立とうとしているわけではなく、演じているキャラクターらしさを、より魅力的にするための細かいしぐさに気を配っている、という意味で、そのために、どんな映画に出ても似たような役柄が多いにもかかわらず、それぞれきちんと、違う役になってるんですよねえ。
ま、言い出すときりがないんですが。

こういう「演技」そのものは、役者自身が考え、与えられた役柄を消化していくことで初めて魅力が出ると思っているので、こういう部分にまで介入してくる、出来すぎた脚本って、嫌いなんですよ。
行間を解釈していくことまで脚本家がやってしまうと、役者が与えられたとおりに動くだけになりがちなので、たとえせりふが棒読みでなくても、大根に見えてくるんですよねえ、私。
そういうレベルの役者がいなし、って実情もあるとは思うんですが、あれだなあ「こんなシーンは原作にない」と文句をつけるファンみたいな、そんなスタンスの脚本家ばかりになってくると、作品そのものに興味がなくなってくるんですよ。
「こんなシーンは原作にない」ということが駄作であるという絶対的な価値観なら、私は間違いなく、作品の価値がわからない人間です。どちらかというと、予想外の展開を期待するほうなので。
脚本家やってて「俺の本と違う」という受け止め方なんですかねえ、大家とかいうレベルの人は、そうだと思いますけど。「そうきたか!」ってのは、ないんでしょうか。
勿論、脚本の意図を理解できずにとんでもないシーンになっていたら憤慨すべきだと思いますが、こういう、集団作業で作り上げていく作品てのは、そういう意図、意思のすり合わせを積み重ねていくことで面白くなると思うので、明らかになんの逸脱もないままに、よく出来た作品って、私的には、Z級映画よりも、つまんないんですよね。

悪い意味ではないですが、時間的な制約があり、どうしてもやっつけ仕事になりがちな特撮TV番組のよさってのは、私自身、そのあたりに魅力を感じてます。
どうやっても、脚本自体は得意の展開になりがちなので、いつもどっかでみた話になってしまうし、それ以上に、完成度が低いせいで、さっぱり脚本の意図が伝わらないことも多いでしょうし。
その結果、役者自身、勿論監督含めたスタッフも、その場で脚本を再構築していく作業を、突貫でやっていかねばならなくなり、結果としてそれが当初の脚本と多少ずれて行っても、その結果としての作品を、脚本家が逆に解釈しなおして、次の脚本につなげる、ということが起こりますし、そういう試行錯誤の行われない作品というのは、1話から最終話まで、一貫してとても完成度の高いものに(ようはNHK大河のような作品に)なるので、とても安心して見られます。
見られますが、それはもともと「ある程度完成した役者が演じている」という前提があるわけで、その前提から眺めたとき、1話で幻滅したら、以降はまったく期待の出来ない作品になってしまいがちなんですよね、経験的に。

私は役者が見たい人なので、ちょっと小耳に挟んだ話から、今度のライダーには、ちょっと期待しています。
いや、でも放送終わってしまうまでは見ないんだけどね(笑)

まあ、結果として特撮番組出身、あるいは経由した人に演技派が多いというのは、それだけ役柄を作ることに努力してきた結果なんだろうなと、個人的には思ってます。
今特撮番組に夢中になっている世代の子供たちが、30年後くらいにそのことを実感できるような作品を、じゃんじゃん作ってほしいですよねー。
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