りせっとさん
「何故あなたは都合よく過去を忘れるのか」「そこにリセットボタンがあるからさ」-ジョージ・マロリー(仮)-
あつかったり寒かったり
PCが起動しなかったり。
なんかもうね。つかれましたよ。
おおよそ原因の一端はわかりましたが。

みんなGoogleがらみのアプリを入れるのはやめるんだ


どうもIMEにしろクロームにしろ(特にクローム)
わざとやってんじゃないかってくらいWindowsとしょっちゅうメモリ周りの衝突引き起こすようで
気になって調べてみると

chrome ブルースクリーン

まあおおいことおおいこと(笑)
ベータ版であれなんであれ、この不安定さは抜群じゃないかと
IEもはだしで逃げ出す
結局重い重いといわれつつも、拡張性と変に凝ったところのないインターフェイスってことで、やっぱ狐がベターなんかなあ。
まあ、PC98シリーズに入っていて、なんとなくずーっと使っていたNetscape Navigatorユーザーにとっては、やっぱりこっちがのこるのかあ、ってな感じはありますが。やっぱ、OSこわしちゃいかんよね。

ま、そんなわけで、再起動しまくりの状態なので、ほとんどPCがさわれない
AEさんがなんかするみたいなので、私も久しぶりに描いてみようと鉛筆持ったはいいけど
起動しなくてはなあ
しかたなくセカンドでどうにかしようとすると、まあHDDがガッコンガッコンやばい音立てるのはいいんだ、まだ予備あるから
スキャナががっこんがっこんいって動かない
どうも、熱でボディがゆがんでしまったらしく、うまく動作しない
おしゃれで薄いボディなんかくそ食らえ


使いたいときに使えなくちゃ意味ねぇ


んなわけで、超旧式のSCSIスキャナを接続しようかどうか、悩んでるとこです。
しかし、こっちもあまりに使ってないから動くかなぁ(笑)

stp12.jpg
ゲルト萌え!




まあおもしろかったけど
話がトーンダウンしてってるのは気のせいかなあ





stp11.jpg
ちがいますから。

突っ込まれる前に言っておいた。

実は「続・荒野の7人」を見たのですが
この作品、なにしろ見たのが小学生くらいのころが最後で、さっぱり内容を覚えちゃいない
覚えているのは、大して面白くなかったこと
私の神が出なかったこと

le01.jpg
そのため残念感倍増

しかし、のちにZ級馬鹿映画の巨匠、ラリー・コーエンが脚本を書いていると知り、どうしても見たかったのですが、とにかくメディア化されても手に入りづらいし、TV放映もされない
私的にはセブン12話とか狂鬼人間なんざどうでもいい


この作品こそ幻


んなわけで、きちんと正座してみましたよ
ええ、10分くらいで麦茶のみながら横になりましたが

ちょっとまじめに書いてみるか。

この作品、判で押したように「1作目のプロットを焼きなおした凡作」という評価がなされていて、事実、「山賊から襲われる村人を7人のガンマンが助ける」という、ひねりの欠片もないのは本当のことで、その点に関しては口を挟む余地すらない。
いわゆる「当たったから続編を作った」という典型で、類型作品として「ダイ・ハード2」などの凡作と比較するのもいいかもしれない。この作品は、本当に舞台を空港に移し変えただけで、一切ひねりはない。ただし、凡作といっているわけではない。「撮れば撮るほど堕ちていく」レニー・ハリーン監督作品だが、1作目のファンサービスといい、ひねりはないが、その分アクションシーンは工夫しようとおいかけっこの要素を取り入れてみたり「あんたそんな反則な」という、意外な人物が黒幕だったり、突っ込みどころと楽しめるところが相半ばしているけれども、それでも「なんとなく楽しく見られる」というのは、やはり才能のある人なのだと思う。
いやだって、焼き直しつったら、3作目のほうがひねりもなくそうじゃね? とか思うのですが、スケール感のでかいアクションシーンにごまかされて、あまり文句を言う人を見かけたことがない。

肝心のこの作品ですが、ほんとに前作のプロットを焼きなおしただけなのかといわれれば
そのとおりです
この点、疑問の余地はない(笑)
では、脚本に焦点を絞ってみてみましょうか。せっかくラリー作品だし。

1作目では、貧乏な村になぜか盗賊団が押し寄せ、ただでさえ収穫の少ない作物を奪っていくという、冷静に考えるとなんでそんな残念な村を襲うのか、動機に納得のいかないところもあったんですが(その点は、戦国時代という時代を切り取っていても、やっぱりクロサワのプロットがおかしい、いや、クロサワじゃないな、なんでもクロサワの手柄にされると怒るあの人だよな(笑)、のアイデアそのものがおかしいのかもしれませんが。略奪者なのに定住すんなよって感じですが、そもそも楽に収奪できるから寒村襲っているのなら、侍が出てきた時点でどっかいきそうなもんですが)今回実は、その動機が序盤の謎として提示されます。

かつて7人のガンマンが守った村に、一人だけ村の娘とヤッて残ったチコが残るわけですが、そのチコ含め、男だけが殺されるでもなく誘拐されるという

なんというやらないか

犯人はガチホモよー
という展開になりそうですが(ならねえよ)
チコの嫁がクリス(ユル・ブリンナー)を探しに町に向かうところで、物語は幕を開けます。
女だけがさらわれた、そんなら理由の想像はつこうってもんですが、男だけですよ。
近くに鉱山があるでもなし(そんならこの村もっと栄えてる)、しかし性的な意味でないのなら、労働力ですわな。なんの?

この強引な滑り出し、正直うまいんじゃないか?

少なくとも、映画俳優と本物を間違えて雇うとか言う残念な展開よりは、よほどうまいよな。


ヒッコシの~サカイーハッ!

いや、好きなんですけどね(笑)

で、肝心のクリスは、のんきに闘牛をみてるわけですわな。
ここからは前作同様、7人の仲間を集めることになるのですが
まず「お前に賞金がかかってるよ」とのっけからクリス賞金首やん! という意外すぎる展開を持ってきてくれる、前作ではマックイーンが演じたヴィンが登場します。
自分がそのハンターだ、てことで、クリスを殺りにきたことをほのめかすんですが、種を明かすとそれはクリスとともに旅をしたかったための、口からでまかせの口実で、実は殺りじゃなく犯りにきたんじゃないかっていう

こっちのほうがやらないかだった

ということが明らかになるんですが。
他には、クリスの知り合いで人殺しの男とか、明日死刑になる男、間男、そんな残念なやつらをかき集めていきます。警察の腐敗とかも絡めつつ。このころからエセ社会派っぷりは見事というほかありません
でも一番問題なのは、キャラ被りすぎてて誰が誰やらわからんてことですな。
闘牛場でであった、マタドールに憧れるのメキシコ人青年を最後に加え
「チコを加えて7人てのは縁起がいい」

縁起気にするようなタマか?

なんてことを思ったりもしますが(笑)、最後の一人のチコは人質という、なんというか、色気もないし動機的にとても盛り上がりに欠けたまま、6人は旅に出ます。

あっさり村に到着

しかし、そこではすでに、誘拐先から逃げてきた男が軒先につるされておでむかえ
思い切り待ち伏せされてるやん。

でもそこは凄腕、あっさり待ち伏せ部隊を殲滅して、誘拐先を突き止めます。展開早。

誘拐先についたとたん、ボスを人質にしてこれまたあっさりと、村人奪還。おいおいラリー、相変わらず強引だなあ
しかしここで終わると30分ドラマになるので、ここからは「3つの村から誘拐されてきたやくたたずをたった7人で守る」というミッションに変わります。
ここで明らかになるのは、実は村人、ボスの息子の供養のために教会を立てていたんですな。


あいた口がふさがらない意外な事実


しかも、神父までちゃんといて、その神父は村人とともにクリス側についてしまうという、なんか本末転倒というか、このエセ社会派風味かつ強引な力技



間違いない、ヤツの仕事だ



そんなラリー節全開の展開に私大喜びですが
このあたりから多分、一般客脱落してるよね。たぶん小学生のころの私もこのへんから寝てたと思う
まあ、前作のプロット縛りというのがあったので、たぶんここらで無理やり防衛線にもってかざるをえなかったんでしょう。しかしこんなに村人抱えて、クリス、お前は赤壁前の劉備か。

でもま、とりあえず村人開放して、いい気分のクリス。チコも加わり晴れて7人になったのですが、なにせ建設途中の教会でしょう、防衛には向いてません。
「村人に、とにかく石を積ませて壁を高くさせるんだ」
と、結局は重労働をやらせる鬼のようなクリスも見所です。あんたなにしにきたの。

ここで、クリスを中心に、男泣きのドラマが展開するのですが、うーん、うまいねせりふの一つ一つが。やっぱうまいよラリー。うまいけど、作品とドラマがぜんぜんつながってないんだ。まだ荒さの残る脚本って感じですけど、才能のきらめきを感じさせます。たぶん、ブリンナーも「ちょ、俺かっこいい」と、ラリーのこのきらびやかなセンスにだまされたんでしょう
でも、シナリオ的な必然性に絡んでいかないから、さっぱり盛り上がらない。

前作はね、銃を抜けなくなってしまったので、仲間に守ってもらうつもりで参加した、元凄腕のロバート・ヴォーンとか(相変わらず腰抜けの似合う人だ)、子供好きが講じて、いつも子供に付きまとわれ、「おじちゃんが死んだら毎日お花を供えてあげるね」と、しゃれにならないことを言われて本当に命を落とす羽目になるチャールズ・ブロンソンとか、なにより敵も、ガンマンたちにとっては命をかける価値のない村だということを知っているので、村から出て行けば手出しはしない、と紳士的な申し出をしてみたり(そして、絶望的な戦いに参加してきたクリス相手に「なぜ戻った」の一言を残して死ぬ)、キャラクターのドラマと、その後の展開が見事なアンサンブルを奏でているのですが

銃撃シーンとまったくかみ合わないんだなこれが

いかにもC級西部劇風味の「ただ撃ち合いをしている」だけなので、ラストようやくシナリオがらみの展開が出てきても、涙を振り絞らない。
「村人たちが立ち上がる」という展開も同じで、その音頭をとるのがマタドールに憧れるメキシコ青年なのですが、この青年、まるっきり英語がしゃべれないという、素敵な設定があるんですが、そのあたりも画面に活かせないまま、なんとなく村人が立ち上がるんですよね。
これ、はっきりいってしまうと




露骨に監督の力量の差が出た作品




なのではないかと。
なにしろ1作目は、漢くさいドラマ作りには定評のある、ジョン・スタージェスですしね。ロバート・アルドリッチとかが監督してるならともかく。
とはいえ、バート・ケネディも娯楽作品の職人監督としては、それなりに定評のある人なんですが、たぶん、職人監督ゆえに、ラリーの提示した脚本の中に潜む諧謔とか、批判精神だとかを読み込んで映像化するだけの余裕がなく

書いてあるままを映像化した

これが真相なんじゃないか、って気がします。もっとうまい人なんだけどねえ。どうしたものか。
ラリーはその後、脚本家としてのキャリアを確実に積み上げながら、映画監督としてデビュー
カルト化した「悪魔の赤ちゃん」で、馬鹿映画の巨匠になっていくわけですが
こうした「伝わらないもどかしさ」が、彼を監督業に踏み出させたんではないか、という意味で、ファンとしては興味深い作品でした。

ラスト、絵的には盛り上がるシーンで
400(200だったかも)VS7
というとんでもなく豪華なシーンがあるのですが
敵のボスいわく「牧場で働いているカウボーイたちも残らず動員するんだ」ってあんた
さんざん村人見下した発言してたのに、牧場経営してるんかい
というか


そいつらに教会立てさせろよ



こういう突っ込みどころが、ラリー脚本らしいんですが、たぶん、彼なら強引に見せてしまうんですよね。観客がそれに気がつくまもなく。
やっぱり映像作品というのは、ある程度監督に左右されてしまうんだなぁ、という印象を持たざるを得ません。
まあでも、ラリー映画が好きなら楽しめると思いますよ。

個人的なところでは、やたらリアルな闘牛シーンがあるんですが(というか、本当にやってる)、このあたりの経験とか人脈が、のち刑事コロンボを手がけた際「闘牛士の栄光」のアイデアにつながっていったんじゃないか、そんな気がします。

私自身、感覚でしゃべる人なので、受け取る人が相当に頭の回転がよくないと、何を言ってるのかさっぱりわからないところがあることもあり、ラリー脚本がすきなのですけど、この人のすごいところは、そういうものも書く一方、ちゃんと隙のない脚本も書けるようになっていくことなんですよねえ。どういう頭の構造してるんだか。

rm701.jpg
実はこんな満点のシーンもあったりするんで

いやー、シネスコを活かした絵だよなあ。こういうのがみたいんだよなあ。
実は名バイプレイヤー、ウォーレン・オーツが、とても重要な役どころで登場しているのですが、いつも「役者が残念」と言われる中、彼の存在が光……るはずなんだけど、それが光らないのはやはり、監督の責任だと思う。


でも彼には前科もあるからな

いや、私は好きなんですけどね
この映画、すぐ馬鹿がカルトの話にもって行きたがるのだけれども、そんなことはどうでもいいんだ。
ロリータの裸!
馬鹿が追っかけてくる!
こういう、娯楽要素を引き出すための口実でしかないものを、真剣に語ったって、仕方がない。
本質論的に「追い詰められていく過程の面白さ」を語るべきだと思うんだけど。
どうなのか。
そんなに宗教の話、好きか?
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