りせっとさん
「何故あなたは都合よく過去を忘れるのか」「そこにリセットボタンがあるからさ」-ジョージ・マロリー(仮)-
maid-san
>ん~「リック・ベイカー師匠が~」という言葉につられていろいろ考えていたらなんとなく思いついたので
2010/8/12(木)

うちみてなかったら関連性がまるでわからんとおもうのですが(笑)

メイドさんにして欲しいことですか
やっぱ備品のラジオを粉々にぶっ壊して、盗聴器探してることろへ
「何をなさってるんですかNo6?」
「俺を番号で呼ぶな!」
これでしょうか。
問題なのは、備品のラジオですね。ってそこかよ。
私女にほとんど幻想抱いてないからなあ。メイドとかいわれても、中の人に興味ないんだよなあ(笑)
だからたぶん、アイドルどーでもいいんだろうけど。

しかしだんだん萌え喫茶みたいになっていってますな(笑)



映画にはレーティングってのがあって
よーやっと日本でもここ10年ほどで導入されましたが
ポルノ以外でも「子供はみちゃだめ」っていう、あれですな
レーティングかける以前に
こいつ本人にレーティングかけろよ
というような、ジャン・ローランみたいな監督もいたりしますが
えっ、どういうことかって
一応ホラーだけど

さっぱり怖くない

ポルノもあるけど

さっぱり抜けない

こんな存在価値のない映画監督は、「人類は見ちゃダメ」ってレーティングかければよいと思うよ。

で、近年は主に、ゴア描写とエロ、この二つでレーティングがかかってるわけですが
(でも不思議だな、ホラーにはあんまりかかんないんじゃぜ、観にいくヤツが少ないからだろうか)
映画に限らず、昔からタブーってのはあります
たとえば児童ポルノ
これを描写するには


芸術の名を借りなければ難しい


逆に言うと、名を借りればどーとでもなるんですが
SCORPIONSのアルバムジャケットに、ロリータの真っ裸が股間全開で、そこに銃弾打ち込まれているやつがあるんですが
ロリコン率の高い欧米では、不買運動は起こる、ジャケットは差し替えられるで大騒ぎになったけれども
日本ではそのまま発売
つい最近になってようやく、アグネスのおかげでかわったようですが、ま、それはいいんだべつに、手元にあるし

某ハードロックバンドのプロモーションには、真っ裸のロリータが股間全開でうろうろしてますが
当然モザイクもない
ここ20年ほど、新しい版が出るたび気になってみてますが、いまだにかかる様子もない
それはこのバンドが、音楽界のえらい人たちから芸術的に認められてるからなんですよね
映画でもあれだよ、大島渚あたりだとダメだけど、タルコフスキーならきっと、ロリのセックスもOKだよね

日本では80年代、ホラーブームというよりも、ゴアブームがあり
一般人がホラーに親しんだのは勿論のこと、イタリアあたりから入ってくる、過激なゴアだけが売り物の屑映画が大量に入り、そこに目をつけた業界が、本物の死体をあつめたビデオとか出したわけですが
(それを民放ソースにのせたのが「カメラは見ていた!」というアレ)
もともと、セックスにしろゴアにしろ、世界中から


日本ほど基準のゆるい国はない


といわれつづけてまして
そういう趣味の人たちにとって、日本という国は憧れの国でもあったわけです
ただ、実写は入関のとき、手続き上輸入が難しく、新東宝の一連のエログロ作品なんかは、おもったよりも流出してなかったんですが
アニメーションは検閲がゆるい
ということに目をつけた海外のオタさんたちが、ゴアだとかエロ目当てに、日本のアニメを輸入していくという流れがあるわけです
全方位的にフリーダムな日本のアニメの(特撮含む)描写は、ある意味でクロサワ並のカルチャーショックを与えたわけです。「椿三十郎」のぷしゃああとか、「犬神家の一族」のぷしゃああみたいなかんじで。
そのため、フランスなど、エログロ方面に異様に理解のアル国では高く評価され、日本では見向きもされないような作品のDVDが発売されてたりするんですが、ジャパニメーションを世界的な位置づけで語る上で、常に見落とされがちなのは、その過激な描写もある、ということは、ひとつ知っておいて戴きたいことですよね。

マカロニ・ウェスタンが世界を席巻したのと同じ理窟

いまだに「うろつき童子」なんかが高く評価されているのは、信じられないほどのゴアシーンと、あかなさまなセックス描写が評価されているわけで、かならずしも「作品の完成度」と関係あるわけではないんですよ。
たとえば。

我々はなにげなくスパロボみてますが、コン・バトラーV、マジンガー、そのどれをとっても
切断シーンのおおいことおおいこと
確かに「人間ではない」んですが、人型をしたそれが、バラバラに切り刻まれていくという描写は、欧米の人間にとって、カルチャーショックなんです。
それは日本の娯楽が、やはりチャンバラの上に成立している、ということとは無縁でないかもしれませんが、そのため、いざ輸出が始まると、件の描写が問題視されるようになり、少なくとも実写作品であるウルトラマンなんかは、八つ裂き光輪なんかは自粛せざるをえなくなるわけです。

結果として、平成のウルトラマンはあまり切断技を持っていないんですが、ここで面白いことに、そういう日本の作品にも親しんできた世代が、ハリウッドでやりはじめるんですよね、切断を。

不思議なことに、日本では「ハリウッドでやるのなら、倫理的にOK」という、主体性のまったくない自主規制のようなものが暗黙裡にあり、日本の作品でも、その描写が復活してきました。
メビウスでも、本人しかり、ハンターナイトツルギしかり、ザムシャーしかりと、切断描写がこれでもかっ、と多いですが、それは海外のマーケティング事情と、無縁ではないでしょう。

じつのところ、スピルバーグなんかはもともとホラー志向の強い人で、日本では、人畜無害な映画ばかりを撮る娯楽監督というイメージの一方で、定期的にゴア作品を提供してますよね。
「ロスト・ワールド」では、しれっと子供が惨殺されるシーンをもってきてますし、あれ見た瞬間「やなシーンもってくるなあ」とおもったんですが(でもすごく、スピルバーグらしくはあるんですが)

「ああ、スピルバーグがやっちゃうならいいのか」

という程度の認識で、日本でもわりにその方面が解禁され(もっとも、CGIの進歩により、描写の限界が飛躍的に上がったという、技術的側面もある)
逆に今は「レーティングだけつけとけばいいよね?」という感じで、私たち80年代ゴアを見てきた世代でも、うんざりするような過激描写が目白押しです

そういうのがでてくると、「ゴアだけに頼り切った情けない作品が出てくる」のは、イタリア映画好きな私なんかには自明なわけですけど

冒頭からお父さんの手は落ちる
子供の腹が爆発する

といったゴアシーンが出てきて、いやーな予感がしたんですよねえ「AVP2 エイリアンズVS.プレデター」(笑)
なんかシーンだけかくと、いいシーンに思えてきますが

ただ死ぬだけなんだよね

ホラー映画に必要なのは「ショッキング」で、たとえば「ナイト・オブ・ザ・リビングデッド」は、自分の親を食っちゃう娘がでてくるわけですが、子供をぶっ殺すということにちゃんと嫌悪感を持たせ、必然性も持たせ、実に後味の悪いシーンに仕上げているからこそ、傑作と呼ばれるわけですよね。
ロメロ信者にぼろかすにいわれる「ドーン・オブ・ザ・デッド」にせよ、妊婦が面子にいる瞬間、いやーな予感がありましたが(笑)、やっぱり子供ゾンビが母親くっちゃうわけですし、そこにはちゃんと、生理的嫌悪感や、倫理的後ろめたさがあるからこその「いいシーン」になってるわけですよ。

でも、ただ死ぬだけなんだよね。

たまたま居合わせて、エイリアンに寄生されたから死ぬ。
だれだこんなつまんねぇ脚本かいたの、と冒頭から心底おもいましたが、一応母親が例のMissingってビラを街中に配ってたりと、最近この手の描写流行してるのかね、「13日の金曜日」にもあったよなあ

ってしまったこのネタかくつもりだったのに

日付越したからまあいいか。
でまあ、一応感情移入させる努力はしているけど、そこでおわってしまう。
なんの余韻もない。ていうか


いくらなんでも失踪翌日からもうビラ刷り上ってるのは手回しよすぎやせんかね


しかもこれ、伏線にもなんにもなっていない。ここでこのシーンは終わる。
ほかにもまだある。
保安官助手が殺されるが、その恋人が「彼はいつだって電話くれるんです」
ほー、そりゃいい彼氏だねえ。

で?

って感じで、それが伏線としてまったく生きてこない。
ほかにもまだまだあるけれども、この映画とそっくりな映画、みたことがあることに気がついてしまった。
この映画、前作とは打って変わり、ホラーを狙ったとほうぼうでかいてあるけれども、まず第一に


まったく怖くないホラーってのはどうなんだ?


死んだ後の余韻もなく、死ぬまでの伏線もなくてポックリ逝くので、怖くもなんともない。
しかも全体的に画面が暗いため、明度補正をしてやらないと、なにやってんのかさっぱりわからない。




ここでメイドさんの出番か




こんなところでオチがついてどうする。

オマージュ色が強いというか、ファンサービスがてんこもりなのだけれども
それを詰め込むために、全般的に説明不足が目立ち、なんでプレデターに殺されそうになってるのに、行く先々で出くわした人を殺してるんだエイリアン、という、疑問がわいてくる。
勿論、シリーズに親しんでいる人なら推測は可能なわけだけれども、エイリアンも生物だろ? 今まさに殺されるかどうかわからない状況で、無意味に人を襲っていくってのは、どうなのよ。
なんか、そのあたりのシーンシーンのとりとめのなさを繋ぐために、オマージュでごまかしているとしか思えない。
まだあるよ。

主人公は、ムショから出てきたらしい兄貴なんだけれども、こいつがとことん物語と関わってこない。
この弟がまた、ビバヒルみたいなドラマを繰り広げているので、イライラ感が増す。
意図としては、この弟をいじめてるやつが殺されるのはわかってるので、そこでカタルシスを、てことなんだろうけれども
とにかくどいつもこいつも、キャラクターの深みが0なので、まったく感情移入が出来ない。
そのため、まったく盛り上がらない。

唯一いいキャラクターが保安官なのだけれども、またこいつが単に無駄死にするだけなんだよなあ。
なにより、保安官と通信している大佐、こいつがいいやつなのか悪いやつなのか、全然わからんまま(ようするに演出が下手)物語が進行するため、その立場に同情すべきなのか、怒りを覚えるべきなのか、とことんとまどってしまう。エンパイアの映画でも、このへんはもっとしっかり描写してるよ。

ようするにこの監督、作品を完成させるレベルの修行をまったく積んでいないんじゃないのか、と思ったわけです。
そこで思い出したのがあの、1978年の悪夢「スウォーム」



お前はアーウィン・アレンかっ



と、本気で声だして突っ込んじゃいましたよ。驚くくらいにてるんだ、コレが。
ひたすら場当たり的に愁嘆場を描写して、だらだらと人が死ぬシーンを連ねていったという、素人丸出しの映画として、私的ライブラリからははずせない作品なんですが、裸を見せてやれば男は勃つ、と思ってる馬鹿並に勘違いもはなはだしい作品で

「この映画はスウォームだよ」

と、冒頭からピンときてしまったことに私の不幸があったんですが
(なにより、一作目がそこそこ面白かったせいで、最後まで期待感を引っ張ってしまったのが、「タワーリングインフェルノ」を観た後、「スウォーム」を見た20年位前のデジャヴ)
なんだかなあ
「金をかけて、オタに媚びてればそれでいい」
って作品作りは、長い目で見るとやっぱ、間違ってるんじゃないか?
ひさしぶりに、そんな気分にさせられた映画でした。

100歩譲って、リアリティを持たせるために群像劇のスタイルをとり、その散漫な死の連鎖を描くことで、エイリアンの恐怖を描写したかった、と、好意的に解釈は可能なんだけども



なら弟の恋愛はいらないよな



ようするにジャン・ローラン並の才能しかないんだろう、私はそう思った。
キャラダイン親父が生きてたら、きっと5作目くらいできちがい博士やってるよ、絶対。

ラストのオチがまた脱力そのものなんですが
世界観のつじつまあわせに終始するくらいなら、物語のつじつまをあわせろよ、と。
理窟だけでオタが映画撮ると、こうなるんだよな、といういい見本という印象が強かったです。

「鉄人28号」以来、久しぶりに文句のひとつも言いたくなった映画でした。


なのでこっちを貼っておこう

こういう映画を観ていると、作品というのは脚本では決まらないのだと、しみじみおもう。
たいしたことない脚本でも、撮る人が撮れば、おもしろいのだ。
(逆もしかりだけど)
この映画でも、やっぱりロバート・ヴォーンは情けない
なら「スウォーム」は嫌いなのかというと、案外そうでもないところに私のダメさ加減がある。
あと20年位したら、AVP2も見方が変わるのかもしれない。それまで生きていればの話だが。
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