りせっとさん
「何故あなたは都合よく過去を忘れるのか」「そこにリセットボタンがあるからさ」-ジョージ・マロリー(仮)-
結婚しました
先日、久しぶりに結婚しました









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ゲームの話じゃけれどな

そろそろオンラインゲームでも、同性婚を認める方向で進まないか
海外戦略的に
自分たちに都合のよいところだけはピックアップして「世界に遅れている」とかいうけれども
都合の悪いところは伏せて保守的になるのはやめたほうがいいとおもうんだ
「先進国」を気取りたいのなら、愛に性別も種族もなにもない
ボーダレス


ロボ子が好きでも別にいいじゃないか


そのくらいの開き直りでひとつ
中の人はともかく
相手が男だとこう、いろいろとやる気にかかわるじゃないか(笑)
どうせなら女の子同士のカップリングのほうが、華があってよいとおもうんだが
うん、きっとBLの人たちもこれには同意してくれると思うんだ(笑)




丁度GYAOでホームズとポアロをやっているので、私的には現在、両雄春のミステリー祭り開催中
ポアロはひさしぶりに観たのですが、1話目で、依頼人だったか秘書だったが読んでいるのが「シャーロック・ホームズの冒険」で一人爆笑
こまかいネタやってるよなあ(笑)
ちなみにコロンボシリーズは、とにかくアガサ・クリスティはお気に召さないようで、なにかとくだらないミステリーの代表として、引用されたりします。
スノッブだったりいろいろとあるけど、やっぱり「アクロイド殺し」をどうとるかで、ミステリーファンって真っ二つになるってことなんでしょうね。
そんなわけであまりやる気がないのですが

じつはどうでもいいことに気づいてしまって、気持ち悪くて仕方ないので「どうよ?」って感じで、上から目線で書いておきます(笑)

1970年代、黒人映画というのが流行しまして

ブラックスプロイテーション(WIKI)

簡単に言うと、黒人を主役にした安い映画の総称(簡単すぎだ)という感じなのですが
後年、ある程度評価された作品もありますが、単純にイロモノとしてつくられた「ブラキュラ」だとか、ネタ的な意味でカルト化した作品も多く、トラッシュ系映画好きな私なんかにはまさに「宝庫」の時代でもあります
WIKIにもありますとおり、日本人がイメージする、アフロでヤクの売人でポン引きで、てなイメージのオリジンは、勿論ここにあります。当然ですが、そのイメージの担い手となる人たちがいたことは事実ですが、黒人全部がそういう人たちではないのは、あたりまえですよね。
しかし、黒人の少年たちが、さまざまな理由からギャングを組織せざるを得なかったり、売春に活路を見出したり、といった問題は、アメリカの底辺でいまだにある問題ではありますので、さまざまなドラマでこのネタが繰り返されるのですが(マクガイバーは孤児院建設に献身するようオチをつけたり、軍隊ものだと大抵、海兵隊に入れられる(笑))
一見黒人に配慮したかのように思える「黒人主役」というジャンルも、じつのところ、黒人の就く職業差別という蔑視が含まれているために、社会運動などもあり、ジャンルそのものは衰退していきます。
でも、華僑はいつもチキン料理か洗濯屋ってのも、十分差別的だと思うのだけれども、中国人は何も言わないのか?(笑)

その後、名優シドニー・ポワチエが圧倒的な存在感を武器に、ついにアカデミー賞に風穴を開けることに成功したため、映画の中での黒人の扱いはぐっと向上していきます。
じつのところ、スタートレック/ディープスペースナインは、黒人キャストの比率が他作品と比べて圧倒的に多いため、黒人問題に真っ向から切り込んだ意欲的な脚本が多く、黒人から観た黒人史、といった側面は、結構見ごたえがあります。現在の黒人の意見もちゃんと盛り込まれたりしているので、これがなかなか面白い。

スパイク・リーをはじめとする黒人監督による、黒人の現状を黒人の側から描く作品も多く生み出され、高い評価を勝ち得ているのは周知の事実です。
結果として、「リーサル・ウェポン」シリーズのマータフ一家のように、白人の主人公と人気を二分するようなキャラクターも生まれ(作品の評価はともかく、「プレデター2」のダニー・グローヴァーも、下手するとコメディになってしまうシナリオに、迫真性を与えていると思う)、かつては脇役だった、これら黒人俳優が、一躍注目を浴びることについては、脇役好きの私としては大喜びなのですが

勿論、過去のヒット作での路線を踏襲した側面はある(先のリーサル・ウェポンのような)、と一応前置きはしておいて

バディ映画では白人+黒人というコンビは定番となり(「ラッシュアワー」なんかでは東洋系になりますが)
ハリウッド流お手軽シナリオ講座で量産されていくわけですが
なんか見ていて気持ちが悪い
それはディープ・スペースナインでも感じていたことなのですが
その不快感の理由がまったく見当がつかないため、自分でも始末に終えずにいやーな感じはあったんですよ。
たとえば、いくつかの作品は、自分のコンプレックスや蔑視、あるいは、もっとネガティブな、嫉妬といった感情に根ざした不快感だというのは、本人もそのことには気づいているので、対外的にはともかく(やはり欠点には虚勢を張る、これ、定番の解決法)、割合自分の中では折り合いがついているのですが
比較的自分のネガティブな部分は突き放してみているので、そのあたりに根ざしているのなら、ぴんと来るはずなのに、どうもそれではない
この不快感は、たとえば国内アニメや特撮を見ていて抱くことはまったくなく、また、インドやタイの映画でもない。ということは、原因はハリウッド映画にある、ということになる
先日見ていた「追跡者」にも同じことを感じ、その不快感とダウニーJrの魅力との間で、私の気分的なものがラストまでせめぎあっていたんですが(大げさに言えば)
本日、英国のドラマを見ていてようやく気がつきました。原因は黒人俳優にあったんですよ。







なんでいつも黒人の主役は愛妻家なんだ?







思い返していただきたい。
ダニー・グローヴァーにしろ、ウェズリー・スナイプにしろ、だれにせよ、ですよ。
なんであんなに妻はべたぼれで、旦那は信じられないに馬鹿がつくくらいの愛妻家なの?
ウェズリー・スナイプスとか、あの状況下で「でもあなたを信じてる」なんて妻が言い切れる要素は、ドラマとしては美しいかもしれないが、そのせりふにいたるドラマを描写されずに、言葉だけで投げつけられる観客としては、まったく説得力がない。
ところが、あのシーン、黒人が演じているために、既に一種の予定調和が存在しているのだと気がついた。
「愛妻家の黒人男性を、嫁は絶対裏切るわけがない」
そこだ。そこなんですよ、気持ち悪さの源泉は。
物語を構築していく上で、予定調和は必要だし、むしろ私はパターンというものの重要性は常に念頭においているのだけれども
これはそういうものとはちょっとちがう
もっとも、女性客をあてこんで、物語にセックスを持ち込むのが定番なハリウッドのドラマ作りからすると、多くの黒人観客から金を巻き上げるために、あからさまに「善人」として、人間としての欠点も深みもない、ほとんど人形扱いの黒人主人公というのは、必要性があり、かつ、必然的な設定なのかもしれない。
定番のテロネタがやれなくなり、国内での集客の見込みがなくなったために、ジャパンマネーを当て込んで、べつに作品を評価しているわけでもないのに「ネタにしてやると、日本人はすぐ喜ぶし、とびつくから」といった理由で続々と映画化された(と思われる)Jホラーのリメイクと次元はそう変わらないのかもしれない。けれども、問題はもう一方の描かれ方にある。
WIKIの記述を拝借しよう。

腐敗した警官や政府関係者、簡単に騙される麻薬組織の人物といったネガティブな白人キャラクターが登場することが多い。


ブラックスプロイテーション内記述

ここでもう一度思い出そう。
たとえば「ダイ・ハード」のマクレーン刑事はどうであったか
相棒としての黒人が存在感的に弱い?
ならば、「リーサル・ウェポン」のリッグスは?
ほとんどの役は、結婚で失敗し、生活にだらしがなく、それでも一応は愛妻家(死別していたりはするが)
確かに似ているような気はするが、そこには「人間としての欠点」が盛り込まれている
それなら黒人のほうがよく描かれているのでいいじゃん、と思うかもしれないが、そんなことはない。欠点とは、その人物の「人間味」であり、「個性」でもある。キャラクターの存在感、と言い換えてもいい。
そうした、登場人物の過去が、物語の中で強烈なバックボーンを形成していたり、そうした過去をにおわせる言動や行動が、観客に彼らとの距離を感じさせない小道具としてきいてくる。だらしのない男が時として女受けがよかったり、一方で、品行方正なだけの、おとなしい男が敬遠されたりするのは、草食系や肉食系といった、言葉遊びの域を超えた魅力があるからに他ならない。ようはその「だらしなさ」の背後に垣間見える人間性に、男女問わず、ひきつけられるのだ。

ハリソン・フォードが一躍人気を博したのは、スターウォーズで演じたハン・ソロが、人生をドロップアウトしたアウトローであり、その彼がいつの間にかルークの正義感にあおられるようにして、行動に移るところに観客が共感したからに他ならない。
実はそれまでのアメリカン・ヒーローというのは、そうした欠点はあまり持っていない人物として描かれることが多かった。無論、過去はあるのだけれども、その過去については物語の中で言及されるのみであり、1本のシナリオの中で変化していくことは少なかった。
一方で、日本のドラマというのはもともと、だめ人間の宝庫である。昼行灯タイプのヒーローは、実に多い。
そういう、親近感を覚える庶民的なキャラクターが、一念発起して行動するところに、強烈な共感を感じるからであり、そして、時代劇ファンでもあるジョージ・ルーカスは、そのキャラクターの原型たちを、簡単にそこへ求めることができたのだ。
インディ・ジョーンズシリーズが、日本において熱狂的に受け入れられた下地は、必ずしもハリソン人気だけではない。勿論、ルーカス=スピルバーグという看板の後押しだけでもない。蛇が苦手だったり、すぐ敵のわなに引っかかったり、強そうでいて、相手を殴った後「あいてっ」て感じで拳をなでたり、そうした等身大サイズの人間が活躍しているからこそ、かっこよかったのである。向こうの人たちにとっては、結構新鮮なヒーロー像だったと思うが、日本人にとってはおなじみ、いわば「定番」だ。

そう考えてみると、特に欠点もなく描かれているだけの黒人の主役に、ややきな臭いものを感じ始める。ようするに「よく書いておきさえすれば、キャラクター造詣なんかはどうでもいいんじゃないか?」ということなのだ。
幸いなことに、これらを演じた俳優が、いずれもトップクラスの芸達者であるため、いかにも飾り物という違和感は感じないですむのだけれども、では、あの役を下手な人が演じていたら、どうだろうか。
添え物的に、演技は下手だけれどもおっぱいぶるんぶるんしているだけの役者と、たいした差はない気がする。
べつに添え物的にそういうぶるるんなキャラがいること自体、問題はないのだけれども、そう、人気のある黒人俳優と同じく、存在感と演技力があれば、やはり見る人は見るのだ(おっぱいだけでなく)。
そのため、女優の場合は肉体の衰えとともに消えていった人たちとの明暗がくっきりしてしまうところに、ハリウッドシステムのむごさがあるといえるけれども、日本でも、最近は手間をかけてスターを作るよりも、話題作に、話題づくりをしたい役者を放り込むだけ、といったテキトーな作り方が推奨されているから、邦画ファンも人事ではないような気もする。逆に言えば、残っていく人はそれなりに努力し、実力のあった人ということになるから、長い目で見ればありがたい気はするけれども、「安心してくつろいで見ることができない」というのは、お客としてはちょっとね、というのは、誰の胸の中にもあるんじゃなかろーか、少なくとも私には、ある。

横道にそれた上、ながったらしくなってしまったが、ようするに

・白人キャラの造形は力を入れている
・黒人キャラの造形は雛形にはめ込むことで手抜きをしている



もちろん、こんなに簡単に割り切れることではなく、それぞれに手を砕いて肉付けはされているのだけれども、多くのハリウッド作品の場合、黒人で家庭問題を抱えているのは、ほとんど悪役ばかりなのは、どこか視点がおかしい気がしてならない。ドラマでは結構、そのあたりを掘り下げている作品と出くわす機会はおおいので、両者を比較すると、どうしても手抜きという印象をぬぐえない。
ようするに、ブラックスプロイテーションは、再び作られ始めてるんじゃないの? というお話なのです。
それも、甘いマスクをかぶった形で。

とりあえずいいように書いておけばいいや

という姿勢は、表面的には一見、問題に配慮したようにも見えるが
その実、向き合うことを放棄しているだけなのである
「はい、ワロスワロス」
といえばわかるだろうか。まさにあれだ。
私は必ずしも公平な人間ではなく、また、女性に対して強い偏見は持っているのだけれども、だからといって女が出てくれば駄作、といった、アホはいわないし、またそんなことは考えただけでも気持ち悪くなるほうだ
だってグレース・ケリーのファンだし、ジョディ・フォスターのファンだし
ではなく、存在意義のない役柄を、添え物的に与えておいて「はい、配慮しておきましたよ」ってな、物語をぶち壊しにする配役が、腹立たしいのだ。演じられる女優がいないわけでもないのに、だ。質的にそういう演技者が払拭しているのなら仕方がないとも言えるが、そんなことはないだろう。うまい人は、山ほどいる。
それと同じことが、じつは黒人俳優に対しても行われているんじゃないか、そのことが私の不快感のモトだった、というのが今日のお話なのです。

考えすぎかねぇ

でも、ならどうしてアウトロー的な黒人の主役が、メジャータイトルにはほとんど出てこないのか。そのことに対する答えで、ピンとくるものを、私は思いつけない。自分の想像力のなさにもあきれるが、こういう陰謀論的な方面に対する、自分の想像力の飛躍にも、驚かされる(笑)
好きなんだね、こういうネタが(笑)
でも、やっぱり気持ち悪いのだ。

古い作品だと、嫁を殴りつけるような骨太のキャラもいたような気がするんだけれども、昔からこうだっけか?
年をとったので、そのあたりの記憶に関しては、まことに自信がない。


楽天では売り切れだった

こういう作品が売切れてしまっているのは、どうなのか。
「新しい作品ばかりで、古いものにもいい作品はおおいのに」
と、声高に叫ぶ映画ファンが多い中、正直なところ、やはり風化したものはたいした金にはならない、ということなのだろう。
いうまでもなく、ブラックスプロイテーションの代表作。
女囚シリーズのエピゴーネンといえばそれまでなのだけれども、パム・グリアの圧倒的な存在感には、大抵の映画ファンが打ちのめされてしまっている。もっとも、日本における女囚映画は、この「コフィー」に原点を求めてもいい。たぶん、パクっている(ことは、私よりも映画に詳しい、多くの人たちが指摘しているところ)。
「強い女」タイプのドラマ作りの中、あちらではすべての作品の原点が、この作品にある、といってしまってもいいかもしれない。「エイリアン」や「ターミネーター」は、みんな「コフィー」の子供たちだといってもいいかもしれない。
簡単に言うと、アクション映画の主役を女がやって、それが黒人で、という作品で、批評家受けのまったくしない、とりたてて語るべきところのない作品なのだけれども
役者がよければなんとかなる
そのことを後世に証明して見せた、大事な作品なのではないでしょうか。
WIKIにもあるとおり、当時としては珍しく、反薬物のメッセージが底辺に流れているにもかかわらず、それなりに大衆受けもし、いまだに語る人が多いのは、パム・グリアの魅力もあることながら(おっぱいは強いね)、こんな企画にGOサインを出したサミュエル・Z・アーコフの英断、というよりも、これが売れると踏んだ慧眼と、ブラックな(黒人という意味ではなく)演出には定評のあるジャック・ヒルの起用という、いくつかの条件が絡み合っての成功作、ということになるのでしょう。
いやほんとも脚本ってとりたててなにもないんだよね。べつにうまい仕掛けがあるわけでなし。でも、アクション映画の魅力をこれだけ引き出した作品ってのも、なかなかないのは確か。
ジャック・ヒルは以前、「スパイダーベイビー」の監督としてネタにしたことがあるのだけれども、このデビュー作がすべてを暗示しているように、ネタが非常に危ない。遺伝疾患で全員が基地外のブラック・コメディなんてのは、今でこそオタがこぞって飛びつくネタだろうけれども、当時としてはかなりの冒険といえる。
そんなわけで、ヒルは独立後、大衆に理解されないまま、その特異な才能を埋もれさせたまま消えていったわけなのですが、こんなにも偉大な監督の項目がないよWIKIどういうことなの
ヒルの演出は、本人がトリップしているんじゃないか、ってくらいのとりとめのなさで、私自身がそういう人間でもあるから、親近感がある、といえばいえるのかもしれないけれども(笑)、そういうちぐはぐさというのは、ハリウッドの予定調和に慣らされた人には、意外性の爆弾、といったところになるのは間違いない。その点、ラリー・コーエンもよく似ているのだけれども、彼の場合は脚本はしっかりしているのに、最初と最後で話に脈絡がなくなるところが魅力なので、全編バッドトリップしたような、悪ふざけの多いヒルの作品とは、ちょっと違う(笑)
「そこでそいつが死ぬのかよっ」
といった、オタがやりたくてやりたくて仕方がなくて、でもやっちゃうと必ず失敗する、ようは思いつきだけではだめで、見せ方がしっかりしていないとそういう意外性のある展開は様にならないということなのだけれども、ヒルはそういうことを、さらりとやってしまう。間違いなく、この人の才能だろう(天然ともいうかもしれないが)。
タランティーノがリスペクトするのも納得できる。というか、ヒルの作品に向き合ってしまうと、タランティーノすら小手先で笑いをとりに行っている小僧にしか見えなくなってしまうあたりに、この人の凄みがあるといえる。
ほんとにいっちゃってるひとなのかもしれないですが(笑)
今の時代なら間違いなく、アクション映画の巨匠として君臨していたはずの人です。観るべし。

トレーラーを貼ろうかと思ったけれども、パム・グリアの魅力はともかく、ヒルの魅力はトレーラーでは全然伝わらないことに気がついたので、やめておきます。
気になる方は、Coffyで動画を検索してくださいな。関連動画もズラッと並ぶので、お得。
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