りせっとさん
「何故あなたは都合よく過去を忘れるのか」「そこにリセットボタンがあるからさ」-ジョージ・マロリー(仮)-
めいじ
屑映画ファンにとって、ロジャー・コーマンという名前は宝石のような輝きを持っている
宝石といっても


購入したらもうひとつ


の天然なんとか真珠みたいな輝きだが
このひとなかりせば、後にメジャーになっていく数々の映画監督が陽の目を見なかったわけで、なんで同じことをやっていて、人間として大失敗をやらかしているコッポラは評価されてるのに、コーマンはダメなのか理解できませんが
そういや、甥っ子が豪邸差し押さえられたそうですね
どうでもいいか、そんなことは。
まあ非常に単純に


くだらない映画しか作ってないからなんですが


たとえば自称映画マニアに
「どっちのリトル・ショップ・オブ・ホラーズのほうが出来がいい?」とたずねれば
「なにそれ」
と答えるようなやつは


既に自称が間違っているからほっとくとして


たいていはヨーダフランク・オズ版よりも、コーマン版をおしますよね。
私はオズのファンでもあるので、なんかTVMのようなキャスティングもあいまってどちらも好きなんですが、予算をたっぷりかけている分、コーマン版がもっている毒々しさは、かなり薄れて、おしゃれな映画になってます。ハッピーエンドですし。
ようするにコーマン映画のよいところは、低予算ならではの、あけすけさや毒、ということなのかもしれません。
その毒というのは、既存の枠にはまらないので、アウトロー的でかっこいいです。
自分をインテリだ、と差別化したいときに「どっちが好きか」と聞かれれば
私ももちろん

「なにいってんだよ。コーマンにきまってるじゃないか」

と答えます
そして、こっそり家でオズ版をみるわけですが(笑)

そういう「かっこよさ」を映像化し、日本のアニメーターやら、映像作家やらで「カコヨス」っぽい絵作りをする人たちに多大な影響を与えた作品群があります
クロサワ? いやいや、ちがいますよ。
新東宝の作品群です。

安っぽい映像と、それを覆い隠すためのあけすけな題材選び、表現手法はあくまでもストレートかつ、どぎつい。
近年、いわゆる映画批評ブーム(映画ブームではない)に後押しされる形で、私のようなにわか映画ファンをマニア気分にさせてくれる雑誌なんかで、急速に再評価が高まった作品たちです。
再評価に至った経緯はいろいろあるんですが、なによりこのワンマン企業のトップであった大蔵貢を


日本のロジャー・コーマン


と誰がいったか知らないが、聞いただけでピンとくる、このインパクトの強い呼び方で、とりあえず作品は観たことなくても
「ああ」
と納得させるだけのネームバリューを構築し、実際に作品が再販されたり、ペイチャンネル中心に放送が始まると、いわゆる大作になれた、にわか邦画ファン(私のことだ)は強烈な衝撃を受けることになる

「な、なんてかっこいいんだ」

(いろんな意味で)
そんな新東宝作品の方向性を、いろんな意味で決定付けた映画が、映画ファンならミミダコの
明治天皇と日露大戦争
大事なことなので繰り返します
明治天皇と日露大戦争

どんな映画なのかは想像できるが
どんな内容なのかが漠然としすぎていて想像がつかない
だって主人公が明治天皇ですよ
原則的に「君臨すれど統治せず」というタテマエにのっとり、実際明治維新ではいいように詔勅を乱発させられたという方ですよ。エピソード的に言えば、怪人南方熊楠のマブダチだった昭和天皇のほうが、ドラマティックなエピソードを数多くお持ちです。「エリザベス」とか「ワシントン」とか、ある程度劇的なドラマを想像可能な人とは、ちょっと違います。
まともにつくったら、ただの皇室アルバムですよ。
明治天皇が船のへさきに立ったり、桜の木を切ったりするのはイヤですよね。日章旗ふるのもなんかちがうし。
明治天皇の波乱に満ちた恋の物語とかいったら、不敬罪とか非国民とかいわれそうですし
(いわれるだけならいいですが)
どんな映画なんだろう

なにより明治天皇を演じた嵐寛寿郎も、そもそも役作りといわれたって、こまるわけですよ。いわゆる庶民的なエピソードが漏れてこない方を演じるわけですし、平成日本人と比べれば、相当プレッシャーのかかる役です。
結局どんな映画になったかというと
記録映像を編集し
大量のエキストラで画面を埋め尽くし
(人件費安かったんだなあ)


ひたすら御前会議を映す


映画として、こんなにインパクトのない映画も珍しいですよ(笑)
だって、昭和の映画におきかえると
大砲の発射だの行軍風景だのがちらっと映される間に
日本がどうだの未来がどうだのという


森繁久弥の一人芝居を延々見せられるようなものです


それってどんな拷問。
しかし、この映画は大ヒットした。
しかも、空前のヒットである。
WIKIには、千と千尋の神隠しに1位を譲ったもののトップを走り続けていた、とある。当時の人口を考えればどれだけの人がこの映画を見に行ったのかが想像のつく話だ。なにしろ、角川ブームといわれた80年代の作品すら、これには追いつけなかったのだから。
もっとも、この動員数やら興業収益という数字は、厳密なデータというにはかなりテキトーなもので、ようするに「いったもんがち」的なところがあり、公正な第三者機関が調べているものではないので、いずれにせよいかがわしい数字ではあるのだけれども
(実際、動員記録は既に東京オリンピックや、一連のジブリ作品に抜かれていた、という記録もある。タイアップまみれの、前売り水増し、あるいは上映会と称してかき集めた動員数も含んでいるということを考慮せずに、単に数字のみに着目しても、比較対照としてそれに追従する数字というのは、凄いことではある)

改めてみてみると、まず度肝を抜かれる。


人件費の安さにだ


今となっては、人件費の安いどこかでロケーションをするか、CGIで水増しする以外にこの映像の再現はありえない。そのため、地平線の先まで続く人馬の群れという、およそ文学の修辞の中でしかお目にかかれないような映像が、次々と登場する。
同じ題材である二百三高地と比べてみるとよくわかる。
二百三高地がいかに金のかかった映画とはいえ、本作とは数十年の開きがある。
戦場シーンは、固定カメラのフレーム内で、大量の爆薬をつかった、いわばこけおどしと、アップを多用した演技で切り抜けている。エキストラとはいえ、同時に画面内に登場する人数は、たかが知れている。
一方本作は、土嚢の影から伏射で丘の向こうを射撃している10人くらいの兵士の尻をロングで捕らえる。まず、その画面の奥行きにも驚かされるのだが、そのまま左へパンしていくのだ。つまり、更に左に兵士がねっころがっているのだが、それだけではない。更に左へパンしていくと、画面奥の丘へ向かって、銃剣突撃をしている一群が映る、といった具合だ。この1シーンは別に山場でもなんでもない。ふつーの、いわば繋ぎの映像なのだから驚かされる。
ここには兵士の顔というものはない。あるのはひたすらに、群衆の運動だけで、戦場ということを考えた場合、これほど乾いて、これほど突き放したシビアな映像というのもない。わざと弾にあたりに行く人間もいないし、こまかく演技する人間も居ない。応射を避けるために姿勢を低くし、小走りに、注意深く前進する兵士がただ映されている。
私はもちろん、実際に戦争を見たことはないので、なにがリアルか、なんてことは想像もつかないけれども、すくなくとも「うわあやられたあっ」と大げさに演技しているような暇もなく、あっさりと人は死んでいくだろうことは想像がつくし、このドライな映像というのは、私の想像する戦場、という映像の中では一番、リアリティがある。
(もっとも単純に、当時の特殊効果の稚拙さということがあり、見せ方としてそういう演出しかありえなかった、というのはある。人件費<特殊効果、かつ、ノウハウがなかったからこそ人で埋め尽くしたわけで、立場が変わればきっと、内臓が撒き散らされていたろうことは想像のできることではある(笑)現に銃撃で死ぬ場面は、心持あおり気味に「うたれたあっ」と演技する人たちが次々とフレームアウトするだけで済ませている。やっていることはそんなにかわらない)

同じ二百三高地奪取の場面も、文字通り死体の山に、更に死体の山が築かれるのだけれども、血が一滴も流れない代わりに


人人人人


なにしろ本当の死体の山である。
(もちろん、エキストラが寝転がっているわけだが)
死体がきれいなだけに、なにやら滑稽感と悲壮美がある。それを風刺と受け止めれば、社会派っぽいいろんなことが言えそうだが、ようするに衣装を汚すと他で使えなくなったり、血糊の演出がめんどくさかったに過ぎないというのがわかっているので、私にはそこまで思い込むことができない(笑)

「二百三高地」のほうでは、同じシーンもいささかくどい、という感じで、繰り返し繰り返し1vs1の肉弾戦が繰り返される。演出意図はよくわかるけれども、あまりに続くので(不謹慎かもしれないが)噴出してしまう。
ただ、タテマエであるにせよ、そこには、戦場の中に居る個人と、戦争というもののはかなさ、みたいなものが盛り込まれているのはわかる。本作にはたぶん、そんなものはかけらもない
激戦だったから死体の山を築いてみようか、たぶんそんなところで、重厚なテーマなどは盛り込まれていない。

この作品が作られた当時は、まだ参戦者の遺族が残っている時代。しかも、戦後まもないという時期で、例によって朝日は不謹慎だの、軍国主義礼賛だのといった批判を浴びせ、どうにかして興行が失敗に陥るよう手を尽くすのだが、結局映画そのものは大成功を収めることになる。
むしろ戦後間もない、敗戦という時代の中、日本国民が列強と伍した時代、戦争を描くということは、国民に希望と自信を取り戻させることになった、ということなのだろう。バブル景気の中、悲壮美たっぷりに、あざとく勝ち戦を描いた二百三高地と、狙いはそれほど違いはないのだろう。たぶん、今日露戦争をやったら、また売れるとは思うけれども、インターネットのおかげで「誰かの意見」を「自分の主張」に摩り替えることが当たり前になっている時勢なので、より反戦色を強く打ち出し、明治天皇は控えめで、乃木は、苦悩する、有能ではないが人間としての弱さを強く打ち出してどうとでもとれる人物として描き(そして殉死のシーンを入れて朝日が大騒ぎするのを「してやったり」とほくそえむ話題づくりを行い)、児玉源太郎はスーパーマンとなって、東郷は戦争きちがいとよばれるのだろう。(田崎潤によく似た人を配役して)
ああもひとつわすれてた。あおい輝彦の位置に、ジャニーズが入るんですねわかります。

せめてオダギリジョーあたりにやってほしいよな(笑)

そうそう。ちゃんと「東郷ターン」もでてくるので、軍オタ的にも大満足な作品になっています。特にラストの海戦シーンは、おそらく最大の見せ場だったのでしょう、着弾するたびに吹き上がる水煙といい、古きよき特撮の、美しい映像が見られます。のっぺりとスムーズに動くCGIとちがい、ミニチュアらしくゆらゆらゆれるあたりが、逆に大海原を突き進んでいる感じがよく出ていると、私は思います。
まあ、それ以外のシーンは、役者が大量にびしいっと集まって状況説明をしているか、バロム1よりはずっと金のかかった(でも照明の色がそんなかんじ)室内セットで「うわあ」とかいってるだけですが。

で、今だと「あのカイザー・インはねえ」とかいわれるようなCGIになったり、ロリ系の役者が起用されて、特に必然性もなく泣き喚くのか。あるいは挺身隊になってるとこがうつされるて女の自立とかとか、なんかそういうどうでもいい使い方をされるのか。個人的に、起用するのはいいけど、起用するならちゃんとシナリオ的に必然性があって、意味のあることをさせて欲しいよなあ。まあ、スポンサー的にとかそうもいかないんでしょうが。私は画面に映らないことよりも、無意味な役を押し付けられることのほうが、よほど差別的だと思います。

ま、そんなわけで、そろそろやりませんか日露戦争のスペクタクル映画。ゴジラも休んでることだし。今ならCGIでちゃっちゃとやれますよ。ねえ。ヤマトとかやってる場合ですか。
乃木は鹿賀丈史とかどうですか。児玉役所で。だめか。それなら観るのに(笑)
あっ明治天皇やれる人がいないじゃん!(笑)

もっとも当時としては、陛下の人間的な苦悩に触れられる、という意味だけで、退屈な前半も十分意味のあったシーンだったはずなんですけどね。


安かったのデ

というか、なにこの適当な解説は。
まあ嵐寛寿郎とか言われてもこまるってのは、わかるんですが。もうすこし書きようはあるだろう。
「日本のロジャー・コーマン大蔵貢が放つ、新東宝明治天皇シリーズ第1弾がついにDVD化! 地平線を埋め尽くす銃剣突撃、数十人が折り重なる二百三高地には悲壮美が溢れている。幻の「東郷ターン」をはじめ「夏でも冬服」「食べ物は陛下と同じ」などのロイヤルエピソードも満載。最も多くの日本人が観た映画として、インディ・ジョーンズと並ぶ大ヒットシリーズの一作目です。続編も続々販売予定!」
こんなかんじでどうだろうか。
売れない? あっそ。
コメント
この記事へのコメント
おひさしぶりです。
いやあいいですね、コーマンから始まり、大蔵貢にふり、最終的には日露大戦争ですか!
分かる人少なくて楽しくていいです!さすが、りせっとさまです。

個人的にはコーマンが日本の大蔵貢って方が不思議に納得いくんですが。
コーマン映画を積極的に配給したのが新東宝っていうのも、海を越えた映画を愛する者の血が呼び合ったのか。
ただし、濡れ手で粟のボロもうけができる事が映画の出来そのものより優先される程度の映画愛ですが。コーマンと大蔵貢って、ホントにその辺似てますよね。
まあ、安かったから買い付けたという以上の理由はないんでしょうけど。
ポーの原作とする「大烏」を「忍者と悪女」つー邦題にするなんて最高ですよ。
見たこと無いですけど。
2010/04/15(木) 22:24:15 | URL | Debu@Jun #-[ 編集]
おひさしぶりです!
ブレーキの壊れた地獄のデビルトラックですみません(笑)

私も個人的には「うちら日本人だし、逆だよな?」とおもいます(笑)あと、世代的にもそうかなと。
でも大蔵貢って知名度低かったからなあ。いや、通の人の間では有名だったんでしょうけど、一般人にまで名前が浸透していくのはたぶん、日本映画専門チャンネルとかでぼつぼつ新東宝の作品流し始めたからじゃないんでしょうか。
(私も数えるほどしか観てませんでしたし)

>忍者と悪女
私もみたことないです(笑)
でもこの邦題のセンスは、脈々と受け継がれてますよね。
AVにも(笑)

興業作品なんだから、まず稼げないと、ってスタンスは、俗っぽいと思われがちだけど、私は正しいと思ってます。パトロンついてるか、本人が金持ちのあの人とかあの人ならともかく(笑)、表現したいものを訴えるには、やっぱ金ですもん。

「内容はともかく金かけすぎ」

ってのは、至言だと思いますね(笑)

東宝東和や松竹富士(ですら)扱わない落穂ひろいをやっていくと、それ以下のウッドなんかに手を出さない限りは、コーマンに行き着くというのは必然だったんでしょうが(笑)、私にとっては、このへんが配給した洋画で人格形成されてるんで、馬鹿にしながらも愛情は深いですね。

いくらバブルだったとはいえ、ラリー・ブキャナンの映画まで輸入するご時世には、きっと大蔵先生も「けしからん!」とおっしゃていたに違いない。

「この映画ならもっと手を抜けるだろう!」

と。
え。違う?

ネタとして、脱力系が見たいときは、バブル経済に感謝しますけどね。こんな作品を原語で聞き取りとかしたくねえです(笑)
でも個人的には「宇宙の7人」とか燃えるものがあったというのは、文芸映画とかお前は観ちゃダメだ、ってことなんでしょうねえ。
2010/04/16(金) 12:08:17 | URL | りせっとさん(仮) #-[ 編集]
コメントを投稿する
URL:
Comment:
Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可する
 
トラックバック
この記事のトラックバックURL
http://roboko.blog41.fc2.com/tb.php/677-efbd121d
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
この記事へのトラックバック