りせっとさん
「何故あなたは都合よく過去を忘れるのか」「そこにリセットボタンがあるからさ」-ジョージ・マロリー(仮)-
くー
クーのセレクトボックス2001の
ケンのはずれ感はなんとかならないものか
いや、買わないからいいんだけどね(笑)
マックスさんとダイスケさんなら、まだ嬉しいんだがな…
と、下書きのまま放置していたら話題が風化している罠。


しかしなんつか、相変わらず早とちりが多いな私は。それで切れるんだからしょうがない。相手に怒ってるんだか自分に怒ってるんだかっ、てところも含めて(笑)


なんとなく山岡荘八の「毛利元就」を読み始め
なんとなく大内義長について調べる
いや、ほんとになんとなくなんですけどね(笑)
山岡荘八って、面白いんだけど、主人公の描かれ方が最強すぎるので、ひねくれものの私としてはいまひとつ感情移入できないんですよ。同じ山岡作品でも、眼帯ですっ転ぶ伊達政宗になら感情移入できるんですが。
<いや、それNGだから

ほとんど二日間、とあるゲーム関連と、PCのヘルスケアのために寝ていません。その甲斐あって、なんとか、かなり安定してきたようです。これでブルスクこなかったら、少々の不具合はどうでもいいんですが。あれだけはかんべんしていただきたかったので。
ブルマとスク水なら大好物ですけどね!
とかいたのも、もう一週間近く前。
不眠不休のケアの成果か、その後ブルスクはでておりません。油断はできませんが。
もうかんべんしてよ。



というわけで、つづき。


ちょっと「ペットセメタリー」も絡めようかと調べていたら、いつのまにかエドワード・ファーロングの項目がめちゃめちゃ削除されてしまっているような。WIKIの話ですが。
人気がなくなるとこんなものなのかね。

さて、ビジュアルパンク系で一見ゴシックなクーも、縞パンなので実はエロゲー向きのキャラだとわかった前回ですが
えっ、そんな話してない?

「乙女の祈り」は実際の事件をモチーフにしたものですが、もちろん、作り話にも少女による殺人、というものは結構あります。
ジョディ・フォスター主演の「白い家の少女」は、一見無気力に見える少女による殺人を、淡々と描いた作品です。
父親の遺言を絶対のものとして、エディプス・コンプレックスかとおもわせる導入から、母殺し、その隠蔽のための殺人と次第にエスカレートしていき、共犯者となっていく少年と恋に落ち、その少年の死を契機に、再びおとなになることを拒絶したかのように白い家に閉じこもり、さらなる殺人を、というような物語なのですが、別に血しぶきが飛ぶわけでもなく、全編に流れるショパンの調べが象徴するような、ひどく静かだが、しかしどこか壊れているという少女が美しいです。肝心の恋人役の少年が、いかにも頼りなさそうな、へなへななあたりも素晴らしい(笑)

ここでサスペンスとして効いてくるのが、マーチン・シーン演じる男で、こいつが、なにか感づいている、くさい、という様子でジョディにつきまとい、現在で言えば完全にストーカー行為なんですが、彼の行動がジョディを追い詰め、壊していくスパイスとして、実に良く効いてます。やっぱ、マーチン・シーンは変態じゃないとね!
(刑事コロンボ「毒のある花」でも、似たようなチンケな小悪党を演じて殺されます。マーチン・シーンあんた最高だぜ!)
これ、少年だと全然ダメなんですよね。主役が。
少女だからこそ、テリトリーに無粋に侵入してくる者たちへの、過剰防衛というのが、心理的に許されるので感情移入できるのだし、これが男の子だと「我慢のきかねぇガキだよな」といわれるのがオチです。差別だね。

どんな相手にも冷然と応対するジョディですが、マーチン・シーンがやってくると、表情にかすかな怯えが走るんですよね。理由はもちろん「事実を知られているかも知れない」ということにあるんですが、マーチンとジョディは、結果的に、ふたりとも極めて利己的で、自己の利益のためならばどんなことでもやりかねないというところがあり、一方でマーチンには既に道徳心も、道義的なしろめたさもないんですが、ジョディにはかすかだけれどもそれがあり、そのことが少年にすべてを打ち明け、共犯者へ仕立てていく過程につながっているのかもしれません。そのあたりの微妙な心理がラストへつながっていく様は、サスペンスとして一級と言っていいと思います。


以前もネタにした「悪い種子」は、遺伝的に悪が遺伝する、というお話です。お話なので、そういうことにしておきましょう(笑)
無邪気な子供の欲望と、直線的な行動、それを覆い隠す天真爛漫さ、と、この手のストーリーでは基本的な要素がすべて詰まっています。
いくら遺伝子のせいにしても、子どもがいともあっさりと、欲望のために人を殺してゆくストーリーと言うのは、当時としても相当にショッキングで(逆に今はもう作れないジャンルかもしれませんが)、映画化に際し、批判をかわすために因果応報、そして陰惨なラストを帳消しにするため、楽屋落ち的なカーテンコールまで用意して、制作側の苦労というのが偲ばれます。「なにあのラスト?」という印象はあると思いますが、それだけストーリーがセンセーショナルだった、ということです。
主演のパトリシア・マコーマックは、舞台でも同じ役を演じたということで、なるほど、この堂に入った悪党ぶりも納得です(笑)
早熟な天才子役というのは、往々にしてその後が悲惨ですが、マコーマックも御多聞にもれず、ウイリアム・キャッスルの「燃える昆虫軍団」で、私のようなB級マニアのぼんくらに記憶される程度の地味な活躍をしたあと、TVシリーズ「ザ・ソプラノズ」で活躍した以外はぱっとした出演歴もありません。素晴らしい子役、というのはつまるところ「子供とは思えない」というところにあるので、裏を返せば、大人になってしまうと凡庸たらざるをえないのかもしれません。美人なんだけどね。
日本では、子役になること自体に政治力が必要だったりするので、凡庸なまま大人になって、なんとなく主演やってることもありますが。

同じ「悪の種子」を映像化した作品にはもう一作、「死の天使レイチェル」というのがありまして、こちらはカラーですが、TVMです。予算はかかってないです。(原題はどちらもThe Bad Seed)
ローダ役のマコーマックは踏んづけても死ななそうなくらいタフな少女ですが、レイチェル役のキャリー・ウェルズは、一見してふりふりでリボンでふわふわのヘアーで、という、ロリータ度がパワーアップした少女です。ローダは殴られても蹴りが飛んできそうですが、レイチェルはその場でめそめそ泣き出しそうです。
シナリオは基本的に同じ(落は異なる)ですが、二人の主役の対比によって、印象は全く別の作品になっています。
ローダは欲望に忠実で、倫理観の欠如した、いわゆる「血も涙もない」という比喩がしっくり来る少女ですが、レイチェルの方は一見まともなので、彼女の儚さ、か弱さの裏に隠れた、並外れた欲望の強さと、独善的な思考というのがひどくアンバランスで、その落差がローダとの印象の違いを際立たせています。

簡単にいえば、ローダはキ印、レイチェルは純粋な犯罪者の怖さです

どちらがゴシックかといわれれば、おそらくは後者で、だからこそ二人を比べた場合、底抜けに明るくて健康的なローダは、陰惨な犯罪者ではなく、先天的なきちがいにならざるをえないのでしょう。
病んでいるといえばどちらも病んでいるのですが、無自覚に犯罪に手を染めているものと、自覚的に犯罪を行っているものとの対比をした場合、それが子供であればなおのこと、怖さが増すのでしょう。ダミアンも、少年のまま3にでればよかったのにね。
エラリー・クイーンの長編には、やはり無自覚な子供の犯罪がトリックとして出てきますが、「子どもが犯罪なんてするわけがない」という思い込みを逆手に取るのは、サスペンスの常套手段とも言えます。
これは「女の子が」ということにもあてはまり、特に実生活でもよくお目に掛かると思いますが、女だってなあ、本質的に人間である以上、たいして精神構造に違いあるわけでなし、犯罪はするよなあ、と理性ではわかっていても、世間的な印象操作で、一応「そんなことはない」というイメージが出来上がってますから、安直に受けを取りに行くなら、極めて有効なスパイスです。
どうでもいいことですが、「死の天使レイチェル」にもデビット・キャラダインが出ています。ほんと仕事を選ばない親子だな。

実は同様のモチーフが日本にも(TVMですが)ありまして
それが大林宣彦の「可愛い悪魔」
特にクレジットはされていなかったと記憶していますが、おそらく、「悪い種子」にインスパイアされた作品でしょう。
時代背景もあり、直接描写が皆無な「悪い種子」、TVMという制約上、子供がらみの放送コードにはうるさい「死の天使レイチェル」にくらべ、すくなくとも露骨に「殺人」を描いた先駆的作品の一つとして記憶にとどめられてもいい作品なのですが、TVMですからねー、日本のTV業界の映像ソース管理のずさんさから見て、もうマスターは紛失してるんじゃないでしょうか。
個人的に「金魚鉢殺人」という、笑っていいものかどうか悩む画期的な殺人方法で記憶に残っているのですが(笑)、こういう苦しそう系はいやです。
いかにおっぱいを必然的に画面に写すか知恵を絞った映像業界ですから、少女による殺人、というモチーフは、その後怨霊の仕業にされたり、ロボ子になったりと、手をかえ品を変え、出てきます。

映像作品は件の如しで、なかなか直接表現というのはないのですが、じつはゲームの世界にそれがうけつがれます。
「可愛い悪魔」が1982年。
「狂った果実」が1992年。
ちょうど10年間あるわけですが、この狂った果実、エロゲーです。
この当時流行した「抜けない鬱ゲー」のひとつで、こういう作品が出てきた背景も、いろいろと面白いんですが、それは割愛するとして。
いきなりパーティ会場で死者が出る、というパターンは、おそらく1976年の「オーメン」の影響ではないかと思えますが、いかにもロリータなヒロインの外見や、残酷な殺害手口、目的のためには手段を選ばず、良心の欠片もないところなど、両作品には共通点が多く、おそらくは前者を見て育った世代が、パクリと言うよりも、再びああいう作品を、と作ったものではないかと思っています。
友人は「狂った果実」のヒロインを絶賛していますが(笑)、「可愛い悪魔」もみていただきたいものですね。

おそらく、こうした「血に狂った少女」という画題は、これら映像作品の系譜からなる作品群から、強く影響を受けていると思われます。
そのため、ほとんどの少女はひどく冷酷で、ロングヘアーで、リボンで、ロリータで、ちまみれで、それはおそらく「可愛い悪魔」の強烈なインパクトをそのまま引きずったものではないか、と、私は考えています。類型的すぎますからね。グレイタイプの宇宙人が出ると、目撃例がみんなグレイタイプなる理屈。

ローゼンメイデンが生まれる背景には、つまるところ「可愛い悪魔」があり、「悪い種子」があり、その中で商業的に許される範囲の妥協点をアリスゲームという、なんか木刀争奪してあげく滝つぼに飛び込むような、なんだかよくわからない展開にすり替えてしまったものなのかもしれません。たぶん、ゲームそのものにはなんの意味もないんでしょう。

帰宅すると恋人がシャワーを浴びている

そんな無理矢理な必然性が生み出した、詭弁なのかもしれません。
でもな。作品の要素って、そういう詭弁が積み上げられ、その虚構が世界としてまとまったときに開花するものだと、私は思っているのです。
別に意味なんかなくったっていいのです。
血まみれで
ゴスで
硝子のように無表情な目から血の涙を流す
少女
ビジュアル的に「それがいい」なら、その必然性を無理矢理にでも作ればいいじゃないか。
私の、シナリオとか脚本に対するスタンスは、その程度のもんです。



少女は狂ったぐらいが気持ちいい



ヒステリーはうざいけどな。
きちがいとヒスは違う。


人間椅子

なんの関係がっ
まあ、横溝作品も、少女ではないけれども「女が犯人」(のことが多い)てのがあるので。心理的には同じものなんでしょう。日本情緒的なゴシック趣味だと、たぶんこうなるのだろうなと。
シドニィ・シェルダンもそうかもしれない(笑)いや、あれゴシックとはちゃうねんけど。
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