りせっとさん
「何故あなたは都合よく過去を忘れるのか」「そこにリセットボタンがあるからさ」-ジョージ・マロリー(仮)-
デヴィッドに捧ぐ
第2弾。
矢島正明の声でよんでください。
(じゃじゃじゃーん じゃじゃじゃじゃじゃーん)

とりあえず、細かいネタは端折ることにいたします。
私どちらかというと、細かいところで笑いをとりに行くほうがすきなのですが。

とりあえずここで一言いっておかなければならないことがあります。
例によってAE効果もあるんですが
それだけじゃないよなこの数字





400人の一見さん
どうもありがとう






そして記憶にも残らず忘れ去られていくうちの存在
なんというクワイ・チャン・ケイン
なにせ私 西部の男ですからね
昔から、我が家でガスといえば西部ガスです
そんなわけで、一見さんに色目を使う意味からも、今日は硬派に行きましょう
テキサススタイルで!



■ラリー・コーエン物語

のっけからキャラダイン関係ないじゃん

さて、ラリー・コーエンは映画監督兼脚本家
脚本家としての手腕は「刑事コロンボ」シリーズでつとに知られ
監督としての手腕は「マニアック・コップ」「悪魔の赤ちゃん」で

いろんな意味で知られています

おおざっぱにいってしまうと

・他人のために書いた脚本は素晴らしい
・自分がメガホンを取るとまるでだめ


何がダメなのかというと、別にウッドのように監督としてもプロデューサーとしても無能というわけではなく、作品そのものの完成度は、部分的に突出している
ようするに、監督としてもかなりうまい部類に入ると思うのだが


その部分がまったく整合性を欠いて1本の映画にぶち込まれている


たとえば、世界名作劇場とガンダムが同居しているとか、そういうレベルの話ではない
小公女セーラが数々の不幸を乗り越え


バッフ・クランと戦い


ダイヤモンドクイーンになる

そんな展開があたりまえなのだ。
しかも


違和感なしに


天才というよりは、ある種のきちがいなのかもしれない。

コロンボの脚本を見てみよう。

コロンボの犯人といえば知能犯を想像しますが、コーエンの脚本の犯人は、格別に知能犯というわけではありません
ほとんどが、犯行を決意する間もなく、発作的に殺人をおこなうという、ドラマティックな展開を重視したシナリオであることが特徴です。
犯人の人物像も深く、徹底的な利己主義の男、同情すべき不幸な男、プライドが高く、人の上に君臨することになれた男と、それらの人物が殺人を行うに至った動機を丹念に描いています。
(「闘牛士の栄光」はむしろ、その犯行動機が焦点となっている)
組み立て方にも無理がなく、小さな笑いを誘うシーンすら、伏線になっていることがしばしばです。

それがメガホンを取ると破綻するのは、本来サービス精神が旺盛な人物であるためなのでしょう。「こういうシーンも、ああいうシーンも」と受けを取りに行ってしまうと、支離滅裂になる。
普通この手の作品は「宇宙から来たツタンカーメン」のように、物語そのものが完全に破綻し、なんの映画だかわからなくなるのですが、コーエンにそれがないのは不思議としか言いようがありません。
ようするに、観客に脳を使わせる前に状況を畳み込んでいく手法なのですが

もっとも、ツタンカーメンはもともと「ミイラののろい」にまつわる連続殺人ものだったのが、未知との遭遇が流行したため、急遽オチを宇宙人にしたと思われる、単に志の低い映画というだけですが。
ラリーの映画は、確信犯です。なので整合性の取れた映画が一本もありません

そんなコーエンが、キャラダインと組み、アメリカでも唯一に近い怪獣映画をとったらどうなるか




例によって物語は破綻しているわけですが



その映画が「空の大怪獣Q」です。

実はアメリカでは、日本人の感覚で言う怪獣映画は非常に少ないです。
基本的には「古代の恐竜」であったり「遺伝子操作の産物」であったり「宇宙生物」であったり
古代の魔物、幻獣なんてものもあまりでてきません
ほとんどが「ありえそうな生き物」であり、水爆で蘇った太古の恐竜、なんていう現実感の薄いモンスターは、普通受ける受けない以前に首を傾げられます。
同じ荒唐無稽でも「ジュラシック・パーク」はOKなのにな。
怪獣といえば、F15と戦っても血の一滴も流さないのが特徴ですが(中には照明弾を咥えただけで死ぬ間抜けなのもいますが)
仮にTレックスがバズーカで撃たれて平気でも


恐竜です


日本人にとっては「怪獣である」その一言で全て片の付く約束事を、いちいち無理な設定で解説しなければならないので、変なところで生の生き物っぽく、らしさがありません。マグロ食うし
ま、簡単に言うと、日本人はゴジラのうんこはどうなっているのか、なんてことは、考えもしないってことですね。
そんなわけで、怪獣らしい怪獣、Qの登場するこの映画は、アメリカでは数少ない怪獣映画として、あちらのオタさんの間でも人気が高いのです。
怪獣映画って、これ一本しか撮っていないのですが
どの程度人気があるかといえば、エメゴジのアニメ版「ゴジラ・ザ・シリーズ」では、南米の鳥類学者ラリー・コーエンによって発見されたケツァルコアトルがゴジラと戦うというドリームマッチがあることからも察せられます
最も大多数の日本人にとっては


エメゴジが変な鳥と戦っているだけですが。


そもそもデヴィッドは、なんでこんな映画に出たのでしょう。
ヤク中だからですか
アル中だからですか
いいえケフィアです

そんな風化した笑いを織り交ぜつつ、タネをあかしますと
先日かきましたとおり、デヴィッドには従軍経験があるのですが
(そう、あれは伏線だったのだ)
私は大本のソースをまったく知らないのですが、複数のサイト、また海外でもちらちら見かけるので、本当のエピソードなのでしょう
ラリーとデヴィッドは、戦友なのです
嘘か誠かはこのさいおくとして、そのほうが美しいドラマがありそうなので、そういうことにしときましょうよ。
以下想像。

(デ:デヴィッド ラ:ラリー)

ラ:「(どんどん)俺だ、ラリー・コーエンだ、玄関あけてくれ」
デ「だーれー」
ラ:「俺だ、ラリーだよ。お前の戦友。俺映画監督になったんだよ。すげえだろ。お前ヤク中なんだってな。どうだい。俺の映画に出て立ち直ってみないか」
デ「だーれー」
ラ「ラリーだっつってんだろ、映画監督の!」
デ「ここは撮影所じゃないよー」
ラ「俺が撮影所からきたんじゃねえか! まいい、とにかく出てみないか。主役させてやるよ」
デ「だーれー」
ラ「ラリー・コーエン! 映画監督!」
デ「かんとくー?」
ラ「そうだよ。わかってんじゃねえか。なあ友達として言う。お前、キャリアはすごいんだし、立ち直れるよ。お前が出てくれれば俺もメジャーの仲間入りできるし、お前、今やすそうじゃん」
デ「俺は監督じゃないよー」
ラ「俺が監督だっつってるだろ! とにかくここ開けれ! 開けてくれるだけでいい! あとはお前なんにもしなくていいから!」




翌日



デ「なあこれ、ほんとに俺がサインしたのか? なんか字が違うみたいなんだけど。あと契約金の0がいっこ少ない」
ラ「(変なとこでこまけえな。ほんとにヤク中か?)お前ヤクでボロボロだろ。だから字が変なんだよ」
デ「それもそうだなあ。俺刑事かあ。でも俺、走れねえぞ。立ってるのやっとだし」
ラ「全然問題ない。ぼーっと突っ立って死体みてるか、ぼーっと突っ立ってコミッショナーにうんちく垂れてるか、ぼーっと突っ立って博物館の親父と話すシーンしかないから」
デ「なら俺にもやれそうだなあ。でもここに「怪獣と戦う」てのあるけど。俺怪獣と戦ったことなんてないよ」
ラ「ああそれ問題ない。お前銃構えてぼーっとたってりゃいいから。あとは(デヴィッド)アレンが、てきとーになんとかする、たぶん」
デ「ならいいかあ。なんなら怪獣にまわし蹴りとかしようか」
ラ「余計なことすんな」
デ「ラスト、犯人を追い詰めるとかあるけど。俺走らなくていいの?」
ラ「あーそれな。走るシーンは、のっぽにハゲヅラつけときゃお前にみえるからいいわ」
デ「お前結構ひどいな」
ラ「SFXってそういうもんなんだよ。お前SFXってしらないだろ。だいたい走るシーンなんて無駄じゃん。俺無駄なシーンて嫌いなんだよな」
デ「フェラチオの一種とかか」
ラ「まあそんなようなもんとおもっててくれ。どうせお前には理解できないだろうし」
デ「そういや俺も映画とったんだよー」
ラ「ああみたみた。時代遅れのロードムービーだろ。いまどきだれがみんだよあんなの。今は怪獣だ怪獣」
デ「じゃあやっぱ役者一筋でがんばるかあ」
ラ「たちなおれよ。お前やればできる子なんだからさ」
デ「俺才能あるしな」
ラ「自分で言うなよ。まあここんとこ、どっかでみたような亜流作品にばっかり出てたから、お前絶対注目浴びるって」
デ「がんばるよ」
ラ「戦友っていいもんだろ?」
デ「ああ。戦友っていいな」
ラ「がんばれよ」
デ「犯人に回し蹴りとかしようか?」
ラ「余計なことすんな



そんなかんじで出来上がったのが、Qである。

キャラダインの役どころは、劇中に起こる、アステカのいけにえにまつわる儀式殺人を追う刑事。博物館の親父に「ケツァルコアトルを崇拝する連中なんじゃないか」といわれるのだが


真に受ける刑事がどこにおるかい


そもそも、冒頭首チョンパされるガラス拭きの親父や、無意味におっぱいをもみしだくねーちゃんが食われる事件も担当しているのだが

儀式殺人とはなんの関係もない

(Qのエサになったのである)
執拗におっぱいをとらえるカメラが、無駄に前半の山場になっているが。
そもそも作中、Q=ケツァルコアトルという前提で話が進んでいるが




別に根拠はないのだ




空を飛ぶ肉食怪獣ってことなら、別にバードンだってOKだし
(あれは鳥だが)
儀式殺人の犯人は、必死になってお供えをささげるんだといきまいているが、関連性があるかどうかはまったくわからない。しかももう一人の主人公、マイケル・モリアーティの喉下にナイフを突きつけて「自分でいけにえになるといえ!」と強要するのは、本気なのかギャグなのか。そんなんいう奴おるかい(笑) きちがいの心象風景を、これほどわかりやすく映像に反映した作品は他にないと思うが、どうか。あれか。マグロの女に「気持ちいいっていえ!」と強要するようなかんじか。
根拠は全然明示されないのだが、そのことがかえって、作品世界では揺るぎのない前提であるかのような錯覚を覚えさせる。キャラダインが「あれはケツァルコアトルです」と断言すれば
なんとなくそうかなぁ
という気になる。コーエン演出の真骨頂だ。
嘘もでたらめも、余計な言い訳はせずクールに描いていけば、疑問をさしはさむ前に作品世界に引き込めてしまうのである。

そもそも、Qがケツァルコアトルであるかどうかあやしいのなら、儀式殺人そのものが何の関係もない可能性もある。真相は、たまたま空を飛ぶ肉食獣をみた、きちがいどもが、勝手にケツァルコアトルと勘違いして儀式を始めた、ってとこだろう。

そんなわけで、キャラダインは何故かSWATチームを率いてQと戦ったりするのだが




担当違いじゃないのか?




まあ、一応Qに食われた人たちの事件も捜査しているから、無関係じゃないが。
団衛門氏の予算説も非常に説得力があるので、私の信念もぐらつきそうですが
イヤッラリー信者としてそれをみとめてしまってはっ
てことで
ヤクでよれよれのキャラダインに見せ場を作ってやるために
てきとーに別撮りしたキャラダインの映像を渡し


「これでてきとーに、なんかつくっといて」
「ええっ!?」


というようなやりとりが、特技監督のデヴィッド・アレンとの間にあったのではないかという説を提唱してみよう。
それも「アレンならきっとなんとかやってくれる」という、スタッフへの信頼の現われだろう。さすがだラリー、惚れたぜ。
戦友だし
戦友っていいよな


デ「たのしかったなあ」
ラ「お前立ってただけだもんな
デ「でもなんでクライスラービルなんだよ。俺、エンパイアステートビルでやりたかったなあ」
ラ「贅沢いってんじゃねえよ。誰のせいで予算きつかったとおもってんだ」
デ「で次は?」
ラ「次ってなんだよ。今度はブラッド・リジンと暗殺者の映画とるんだよ。お前人殺しはいやだろ」
デ「人殺しはいやだなあ」
ラ「そうだろそうだろ。お前ヒーローだしな。オレ、今度からずっと人殺しの映画撮るわ」
デ「俺出られないじゃん」
ラ「そうだな。そういやお前、SWAT楽しそうだったな。ヤク抜けたのかとおもったよ。次スティーヴ・カーヴァーがSWATものの映画とるっていってたぞ。口利いてやろうか?」
デ「SWATはいいなあ。機関銃もってるだけで動かなくていいしなあ」
ラ「そんなん俺の映画だけだって。戦友っていいもんだろ?」
デ「ああ。戦友っていいな」








その後、ラリーとは一度も仕事をしていない





とってつけたようなバイオレンスのあと、「ええっそれでおわり!?」という観客心理を先読みし
叩きつけるように速攻で話を切り上げてしまう
(しかも字幕のみで)
観客に考える隙を与えない
この絶妙の間が、コーエンなのである。
しかしQとたたかってるキャラダイン、すげえたのしそうだな(笑)

そして上記のようなやり取りがあり、キャラダインは「テキサスSWAT」に出演。
主演、チャック・ノリス、悪い武器商人キャラダインという配役で、そこそこあたった。

(勿論、本当にそんなやり取りが合ったわけではない、念のため(笑)。カーヴァーはもともとコーマン・ファミリーであり、その線からのコネだろう)

この後、キャラダインのキャリアはB級専門役者として決定的となった。
しかし、B級映画をこよなく愛し、自らがメジャーとなった後も、そうした映画の出演者を発掘し、日の当たる場に引き上げたクエンティン・タランティーノにより、「キル・ビル」に出演、ふただび人気スターの仲間入りを果たすのである。



と、ここまでが公式でよく語られるおはなし。



実のところ、キャラダインのファン層というのは我々が想像しているよりもずっと厚く
既にスクリーンでは過去の人になりつつあったのだが、もともと彼の畑であるTVシリーズでは、ゲストとして幾度も招かれている。
招いたのはそう、彼の作品を見て育った、若い世代の才能だった
ええはなしやんか
つまり、「キル・ビル」に出演するまでもなく、彼の復活の下地は着々と用意されていたのだ。
実はタランティーノ以前にも、人気に陰りの出てきたメル・ギブソン、「あの歳にしてあのケツ」妖怪ババァ扱いが一部で囁かれたゴールディ・ホーンとも競演している。作品がまったくといてっていいほどあたらず、職人監督として、また映画マニアとして確かな手腕を持っているジョン・バダムにしてはまったくの凡作で、どうしてバダムがこんなものを、とファンを落胆させたのだが(もっとも、それはバダムにしては凡作ということであって、これがロジャー・コーマン製作だったら誰の反応も「やるじゃん、コーマン。元とれるのかよ」という反応になる微妙な映画だ)当時B級映画の常連だったキャラダインをわざわざひっぱったのは、やはりファン心理というものだろう。でなければ、こんなヤク中で扱いづらい役者を抜擢するとは到底思えない。

ちなみにその後、バダムは転落したまま二度とメガヒットを飛ばすことはなかった。

(「ニック・オブ・タイム」はちょっとあたった)


バード・オン・ワイヤー トレーラー

見ればわかるように、メルとゴールディの出番はあるが、キャラダインは0だ。
監督の意向はともかく、配給会社にとって彼がいかに過去の人になっていたのかが良くわかる。

その後、新たなファン層も獲得し、意気揚々と第二のデビューを果たしたキャラダインは、自己のセルフパロディともいえる役フランケンシュタインを、再び「デスレース」で演じることになる(声のみ)。シナリオ自体は平凡だが、アクションのみにこだわった映像は見ていて心地よく、その中で、あの少しはにかんだニヤニヤ笑いを浮かべる彼を想像するのも、ファンとしては趣がある。



そして2009年6月4日、タイ、バンコクのホテルで突然の死を迎える



ちんこ丸出しで、しかもSMまがいのプレイに耽っていたかのような、男として絶望的な死に方をした彼の訃報は、かつてのハリウッドスターという知名度、そしてタランティーノ映画に出演したというキャッチーな理由で、さまざまなマスコミに報じられた。オナニーによる事故死、殺人、はたまた自殺と、どうせ真相はわかりっこねえとタカをくくつたマスコミによって、その最後は様々に粉飾された。人の死というものが、こうも格好の娯楽になる証拠というのはまずあるまい。その証拠に、検索によるヒットと思われるのべ400人ものアクセスが、うちのようなサイトにまで殺到したのだ。
ゴシップが金になり、そして誰もがそれを娯楽として楽しんでいるという証拠が、数字としてここにある。
一方で、このゴシップの数を見れば、スター性は証明されたようなものだ。

しかし翻って考えてみよう。

数千人の人が、やっきになって彼のゴシップに飛びつき、そんななかでうちにまで流れ着いたのは確かなことだ。しかし、それだけなのだろうか。
WIKIの記述を見てみよう。彼の死は、最後こう締めくくられている。

ベッドの上にあった足跡がキャラダインの履いていた靴とは一致しないことや、キャラダインの両手が体の後ろで縛られていたことなどから、他殺の疑いもあると見て、捜査が進められている



このWIKIの記述はおそらく、1ファンの手になるものだろう。
心の中で、ファン心理として、オナニーの果ての死などという不名誉さをやりきれなく感じ、すがるような気持ちでニュースをあさり、引用もとのニュースにたどり着いた感慨が、みえてこないだろうか。
「あれは自殺じゃないんだよ。その証拠に、こんな報道がある」
心無いにわかファンや、ゴシップ好きのばかたれに対し、やんわりと反論するファンの姿が見えてこないだろうか。
うちに流れ着いた人たちも、そういう人たちであると私は信じたい。ファンとして、スターの死を粉飾したい欲求に抗える人間が一体何人いるものか。
別にどういう死に方であろうと、キャラダインの役者としての歩みが否定されるわけではないので、私はどっちでもいいのだが(個人的に、ちんこと首にロープを巻きつけて、どんなプレイに挑もうとしていたのかまったく想像がつかない。とはいえ、男がちんこに賭ける情熱は、女には理解できないほどに、高く、崇高だ。私もこういう謎の死を迎えてみたいものだと心底思う)、それならばと、こういう言い方をしておこう。


クワイ・チャン・ケインはついに清朝の刺客の手にかかったのだ


と。
氏の冥福を心より祈る。





SWAT

チャックの映画というのは、テキサスで、カラテで、レンジャーで(SWATでもなんでもいいが)という具合で、タイトルだけではどの映画なのかよくわからなくなってくる。そんなわけで、脇役の存在はとても重要だ。キャラダインが出ているから、この作品だけは間違えない
監督がコーマンファミリーなので、安いがテンポが良く、チャックのカラーによくあっている。
まあ、チャックの映画でも、一度観たら絶対間違えないメガフォースみたいな映画もありますが。
この作品あたりから、徐々に悪役しか回ってこなくなる。
よく言えばイメージを転換できたともいえるが、彼が絵的にヒーローではなくなったという転機と見てもいい。ファンなら見ておいて損はない。
どの映画も似たような内容なので、チャック入門書としてもいい(かもしれない)。

「どうせ紹介するならもっとマシなのを」といわれるかもしれないが
キャラダイン出演映画というのは、ほとんどどれもDVD化されていない。日本では知名度が低く、そのためマスコミも「キル・ビル」のと書くしかない始末だ。映画ファンでない一般人には、それですら辛いハードルだろう。
誰が「SFカインの剣で、乳ほりだしっぱなしのヒロインと共に主役を演じた」とか「クライスラービルで鳥の化け物と銃撃戦をした」とかいう見出しで理解できるだろうか。
しかし逆説的に考えれば、その程度の知名度しかないのに、そのすさまじいしにっぷりで、この辺境の島国に死に花咲かせたと思えば、大スターの貫禄ばっちりだ。
なお、ウォーク・オブ・フェイムには彼の名を刻んだプレートがある。それだけの大スターなのだ。
(ジャンルはTV、となっている。つまり燃えよ! カンフーの功績だ。父のジャンルは映画である)
父ジョン、そして兄弟のキースの名もある。しかしロバートの名だけがない
こんなもんでよござんすか、団衛門氏(笑)
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