りせっとさん
「何故あなたは都合よく過去を忘れるのか」「そこにリセットボタンがあるからさ」-ジョージ・マロリー(仮)-
おはなし
ブログにしろなんにしろ、そこに書かれていることというのは大抵、根拠のない憶測かうそっぱち、よくて伝聞である。

こういうことをいうとしかられるかもしれないが、試みにトーマス・エジソンなり、エジソンでググってみるとよい。

そこに書かれている内容のほとんどは、私たちが子供のころ親しんだ伝記からの転載である。
WIKIがかろうじて「天才は1%のひらめきと99%の汗」という、格言として定着してしまっているエジソンの言葉が、実はマスコミが歪曲したものだ、ということを書いている程度にとどめている。
エジソンが苦労した少年時代のエピソードというのも、これだけ有名な人間でありながら、多くの場合、根拠というのは「少年時代に読んだ伝記」である。

近年では、ニコラ・テスラの再評価や、オウムがテスラの発言を受け本気でに取り組み、地球を割ろうとしていたという話などが広がり、実は彼がエジソンの下で働いていたことがあるということも、知られるようになってきた。
テスラは結局エジソンとは喧嘩別れしてしまうのだが、それが喧嘩の後のくやしまぎれ、多少膨らました話であるにせよ、エジソンの会社の今があるその下地には、自分の発想が根本にあった(裏返していえば、エジソンの発明と称するもののほとんどはテスラのアイデアを基にしている)と話していたという。
事実、断片的なエジソンの業績、たとえば、電球にしろ電話にしろ、それらはエジソンが発明したものではない。
エジソンはそれを改良し、事業として成功させた人物である。

こうした背景を知ってしまうと、テスラの言葉の裏側に、いろいろと勘ぐりたくなるものがでてくる。

もちろん、エジソンが極めて異能の才能の持ち主であったことは間違いない。
ただ、テスラを天才とみなすとすれば、エジソンは秀才にとどまるのだろう。
本当かうそかは知らないが、テスラの発明には試行錯誤というものがない。つまり、アイデアから実験、試行錯誤、改良という経過を見ずに、いきなり完成品ができるというのである。信じがたい話だけれども、テスラの伝記には同じことが書いてあるので、少なくとも本人がそう公言していたのであろう。

一方のエジソンは、試行錯誤の人である。
頭がよかったにせよ、失敗に失敗を重ね、試行錯誤の末に竹をフィラメントにつかった、という電球のエピソードは、舞台が日本とされることもあって、日本人には大人気のエピソードだ。もっとも

だからといって日本がすごいということには全くならないのだが

なんとなくそんな気分にさせられる。この心理は
「**という漫画家は俺の友達」
ということに、少し似ている。

しかし、テスラは「成功したエジソンの会社に入社」したのである。だから、その業績がすべて彼の頭から出ている、などという解釈はトンデモ本の領域である。ちょっと考えればわかることだ。
では、テスラはどうしてこういうことを言ったのか。
テスラの先のエピソードが事実ならば、試行錯誤を繰り返してものを作り上げる、野暮ったい「発明」によってエジソンが、天才、などとよばれることに対して腹立たしいものがあったのだろう。そのことへのあてこすりなのではないか。
もっとも、テスラが本物の天才であったことは間違いのない話で、エジソンが「発明」したとされるものの中で、テスラ発案、エジソンにより商品化されたものは実際にあるのだろう。

では、テスラとエジソンの違いとは何か。
一言でいおう。



金である。



端的にいえば、エジソンは成功した金持ちだったので、後世よいことを書いてもらえたが、失敗した貧乏人だったテスラは、きちがいにされてしまったのである。
なにより、彼のエキセントリックな生い立ちと、発言がまずい。

生後5年程でしばしば幻覚を見、エジソンと袂をわかって億万長者のウェスティングハウスの元に転がり込んだが、宇宙人と交信しているだの、地球を割ってやるだのといった危ない発言をする。
結局この人、自分のアイデアがどうやったら金になるのか、さっぱりわかっていなかったのではないだろうか。次々にアイデアをどぶに捨てるように、金持ちの間を渡り歩いている。
あのマーク・トゥエインと友人だったそうだから、付き合いにくいタイプだというのもあったのだろう。おそらくそうしたことの一つ一つが、テスラという人格を誤解させることになっている。

たとえば地球を割るという話。これはたとえば、「俺が社長になればこんなこともできる」程度の、確信犯的な誇大妄想的比喩、だったのではないだろうか。それを受け止める側からすると、「きちがいがなんかいってる」ということになる。そしてそれは「テスラが本気で地球を割る、といっている」ということになる。
もちろん理論でそういうことは可能なのだろうけれども、その実現手段をテスラが用意できるのか、ということとはまた、別の問題である。いまだに割った人がいないところを見ると、すくなくともスーパーサイヤ人にでもならないかぎり、むつかしいのだろう。

一方、実業家であるエジソンは、イメージ戦略というのを知り尽くしている。
テスラとエジソンの、交流VS直流の電流戦争というのは有名だが、このときは珍しく、テスラが勝利している。なぜか。
もちろん、家庭で電気を使用する場合、理論的にいって交流が便利だから、なのだけれども、それ以上に当時のテスラはウェスティングハウスの援助を受けていた、という事実である。
テスラVSエジソンといわれているが、実際はウェスティングハウスVSエジソン、なのだ。

ウェスティングハウスはすでに、直流よりも交流のほうに将来性があることを見抜き、その権利をかたっぱしから買い占めていた。(ようするに、テスラはその後莫大な利益を生むことになるこの権利の「手付」だけもらって、恩恵を受けていないのである)
一方のエジソンは、直流送電から得られる特許を持っていた。

どちらのほうがより人々の役に立つか

天才ではないが、秀才であるエジソンにはわかっていたはずである。
しかし、当時部下であったテスラに「交流はダメ」と宣言したことの背景には、既得権としてすでに莫大な利益を生んでいる直流を、「人の役に立つから」という理由だけで、無駄な投資までして交流に変えるつもりなんてのは、はなからなかったのである。
テスラは天才かもしれないが、ビジネスには全く疎いのは、交流の権利を安く買い叩かれていることからでもわかる。
「交流のほうがいいのに、なんでエジソンさんはわかってくれないんだっ」
と、このいろんな意味で天然ものの、天才テスラはおもったのかもしれない。
ようするにエジソンは



金のために



動いたに過ぎない。
伝記に書いてある、偽善的なエジソン像なんてものがうそっぱちだとよくわかる。
その動機をテスラは知っていたのかもしれないが、拝金主義だなぁとかぼやきつつも、最後までビジネスってものについては、わからなかったんじゃないだろうか。
交流の安全性を証明する「実験」については、そのエキセントリックなやり方がいかにもテスラらしく、そのあたりはぜひ伝記を読んでいただきたいところなのだが、このあたりも半ば「伝説」とされているところで、どこまで本当なのかはわからない。
多少眉につばをつけておくといいかもしれない。

一方エジソンがやったことは何か。

素人には電気のことなんてわからない。
当然私にもわからない。
そんな馬鹿は、表面的な事実にコロっとだまされる。つまり交流は危ない、と大々的にネガティブキャンペーンをうったのである。
(先のテスラのパフォーマンスは、これを受けたもの)
ではその方法とは何か。



猫や象を感電死させたのである


「交流ってのはあぶないんですよぉ、ほら、その証拠にネコなんてのは簡単に」
「ギニャー」


女よりも猫がすきと公言してはばからない私にとって、エジソンというのは生涯の敵である。復員船にのったら、ぜひ写真にメモつきで「わが生涯の敵」とかいておきたいくらいである。

ポール・マッカートニーも動物実験には反対で、自分のアルバムに、「脳を露出させられて電極を埋められている猫」の写真なんかのっけているが、反対ならそういうのはやめてくれ。私は心底びびってしまった。
(もっとも私は必ずしも動物実験すべてに反対はしない。薬物や医療てのは基本的に「人間さまのために」研究されているのだから、その恩恵に浴するためには、大量の命の礎が必要な事実は、隠しようがない。てなテーマを、戦時下の人体実験というテーマで、スタートレック/ヴォイジャーの1エピソードが鋭く描いているのでオススメ)
ただ、猫だからネガティブキャンペーンにつかえるのであって、これがかわいくない動物だったらあまり効果はないといえる。
ゴキブリが焼け死んだって、ねえ?

話は脱線したが、ようするに「交流を使えば象も死ぬ」ということである。
わかりやすい。
象が踏んでも壊れないというコピーの元ネタは、エジソンに求めてもいいくらい、わかりやすい。
調子に乗ったエジソンは、これを映画にまでしている。
2chがあったなら

エジソン必死杉

とか書き込まれるだろう。
なんでそんなに必死なのか。
繰り返しになるが



金のためである



私は資本社会で金稼ぎに必死になることは、大変よいことだと思っている。
腹立たしいのは、そうした行為が社会貢献だの、福祉だのといった言葉にすりかえられる事にある。
直流にしろ交流にしろ、結局電気ってやつは扱い方間違えると危険なのだから、便利なほうを使えばいいのはわかりきっている。原子力が悪者にされるのは、電気に比べると危なさの桁が違うからで、交流と直流との戦いの例としては適していない。
だからエジソンは金のためにがんばり、負けてしまうのだが、このことは電気では大抵オミットされている。
なんでかかないんだ。
おもうんだよ。エジソンてのは企業のリーダーなのだ。


働いている人に責任のある立場なのである


少々融通は利かなかったし、見通しも甘かったが、エジソンのがんばりというのはむしろ美談だと思うのだが。
プロジェクトXでΒビデオあつかったら大いに受けるんだから、これだって受けるはずである。
なんでかかれないかといえば、エジソンは発明王であって、企業家ではないからなのだ。
(伝記の中では)
発明王というクリーンなイメージが


金によって汚れるのがいやなのだ


金持ちになると、金を使って、金の匂いを消したがるものなのだが、その背景には、金のために、金を使って、かなり汚いことをやっているという自覚からきているのはほぼ間違いない。
金を稼ぐためには、倫理というものは真っ先に棚の上にあげないといけないものなのだろう。
ただし、時々棚卸してやる必要はある。そうしないとホリエモンになってしまうわけだ。

現にエジソンは、その莫大な資産で交流のネガティブキャンペーンをやる。直流にも問題点はあるのだが、棚上げしているのだから、やはりダーティーな仕事である。
エジソンがあんまりしぬしぬいう、交流つかったらしぬ、とにかくすぐしぬというので、ある日こんな仕事が舞い込んできたのだが。

交流で人を殺せないだろうか

ジャジャジャーン
仕事人のテーマが流れる瞬間である。
(あれもエレキテルでやってるなあ)
電気で即死、なら人道的でいいじゃん、と、ニューヨーク議員の馬鹿の一人が、エジソンにそんな仕事を持ち込んだのである。
即死しようとなんだろうと、人が死ぬことに変わりはないのだが、ようするに「電気で人が死ぬ」という自分の発想に、酔っていたのかもしれない。
(エジソンの広報係がアメリカンジョークで「人も殺せる」と吹聴した結果という話もある)


そして生まれたのが電気椅子である


モンド映画「ジャンク」のパッケージで有名だが(ちなみにあれはつくりものである。本当の処刑シーンではない。見たい人はUSのYoutubeででも検索しておくれ)エジソンは電気椅子の父でもあったのである。
エジソンは死刑反対の立場をとっていたのだが、金のため社員のために鬼となり、動物実験を繰り返した後、ついに電気椅子を完成させる。
しかし、第一号は失敗した。
囚人は感電死ではなく、焼死させられたのである
ゾウでの実験が活かせなかったのか、それとも人間ってやつはとことん頑丈なのかはわからないが、絞首刑なんかよりも数百倍残酷な処刑方法だったのは間違いない。
しかし。




この手法はエンターテイメントとしては最高だった



処刑が最高のエンターテイメントだったことは、数々の歴史的事実が裏付けているが、エジソンはそれをさらに完成させたとも言える。いかにも苦痛を与えられながら死ぬ、というこの電気椅子のアイデアは、囚人を処刑し、それを見世物にしようという側にとっては最高の発明品だったはずである。
その証拠に、もっと安上がりな絞首刑は廃止され、死刑があるほとんどの国で、電気椅子が採用されることになる。
死刑というのは犯罪に対する抑止力、という意見もあるそうで、その点からいえば、電気椅子というのは、はなから見世物にするための発明品だったとも言える。
発想はニューヨークの議員から与えられ、失敗を繰り返しながらついに完成させたところなんざ、「天才は1%のひらめきと99%の汗」の発明王の面目躍如ではないだろうか。

泉下でテスラが「俺なら即死させるね」と、言ったかどうかはわからない。










なお、所詮私の書いていることも、本の受け売りである。
ただし、それらの内容を自分なりに解釈したものなので、大いに間違っている可能性はある。
とはいえ、成功している人間にはクリーンな面ばかりがあるわけではない。
とある偉人は自分の伝記を読んで「こんな奇麗事ばっかりの伝記はうそっぱちだ」と怒ったそうだが、しかし、「このひとはすごい」ということを伝えるために、マイナス面を書き立てるというのもまた、馬鹿な話である。
伝記は伝記でよいので、そこから自分で掘り下げていく姿勢を学ぶことが、一番大切なことなのかもしれない。
と、りせっとさん(仮)は考えるのだが、本人はずぼらなので、そんなことはとんとやらない。
だからこういう投げやりなことを書くのである。



子供のころおもったのだが、この顔にどうしても好感が抱けなかった。
なんかいじわるじいさんぽくね?
それが、私がエジソンを調べる気になったきっかけである。





テスラ関連。
どっちもよんだことないので内容は知らない。

よく考えると、エジソンってドクター中松に似てないか?
さーんごーずだーうん
よそ様の掲示板のネタで申し訳ないのですが

松崎しげるいいじゃないですか!(笑)

いや、ここだけ読んでもなんのことだかさっぱりわかんないよな(笑)
今日は新しい半纏をいただきまして、ぬくぬくでございます。
なのになんか、風邪をひいたもよう。

こういうときはしかたがない、映画でもみようと
ナデシコの劇場版を見た後
戦国自衛隊を見ていました

ナデシコはさておき
以前から何度も繰り返していますが、私

戦国自衛隊がだいすきです

無論半村良の原作だってもっています


旧作のDVD

いかに「どんな映画でも文句を言わずに見る」と公言しているとはいえ、私にも好みはあります
何度見ても好感が持てない監督の映画もあります
なので、「えーっ戦国自衛隊のリメイクゥゥゥ?」という反応を、私がしてしまったのもしかたないというもの

戦国自衛隊1549


これは新旧DVD

やっとみたので、今日はそれを。
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耐久レース
パンヤ6時間耐久レース終了or2
なんかお茶飲んでなんとなくのぞいてみたら、PP2倍やっていたのでまわっとくか、と
それはそれでいいんだけれども、気が付いたら110KPPも貯まってた
あ、あれ、3000PPが、倍になって、倍になって、あれっ
てなかんじで、まるでインチキな競馬配当金のように増えていきました
たった一日でクラブかえるほど貯まっちゃったよ
どうするよ自分

んなかんじなのでおざなりに
[耐久レース]の続きを読む
し、しぬる~
 全然洒落にならないほど腹が痛いので


 ちょっとおやすみしてます。
 風邪から一気にきたっぽいですよー。風邪はなんちゃなかったんですが。
 なのでちょっと小ネタ。

 中国の王朝名は、元や金といった異民族国家をのぞき、最初に封ぜられた土地の名前を冠して○王朝、と称します。
 これは神話上の禹が夏という土地に封じられ、その死後啓が世襲制の王朝を起こしたときに名付けられたのが始まり、という伝説があります。
 夏については、存在を疑問視する声も、逆に歴然とした歴史王朝であるという声も(故宮博物館には、夏の遺物とされるものが飾ってある。真偽は知らない)あるわけですが、それはどうでもいいです。なんとなくそういう習慣が起こるきっかけがあった、ということでしょう。
 元はモンゴルの国ですから、中華王朝となった際は単に縁起のいい文字を選んだとされます。まぁ「平成」みたいなもんですね。若年層には、あのときのすったもんだはぴんとこないのかもしれませんが。

 漢王朝の創始者、高祖劉邦は漢中王になった、ということは有名ですが、無論例外もあります。中山靖王劉勝の末裔と称した劉備の蜀は、漢の後継と称していますから、国号は蜀、ではありません。まぎらわしいので便宜上蜀、または蜀漢とよばれています。
(蜀では、献帝は殺されたことになっている。国家として出生の秘密があり、その暗さが、誤報ではあったといえ、それに乗る形で成立してしまったという後ろめたさがつきまとい、なんとなくいかがわしさが臭う。この胡散さが、蜀という国に微妙な影を落としている可能性も、時々指摘される)
 しかし蜀は地方政権ですし、例外としていいでしょう。
 一応統一王朝としてみなされ、国号もちゃんとあるのに別の呼ばれ方をしている、可哀想な国があります。聖徳太子がいたとかいないとかそういうことより、ここちゃんとしたほうがええんちゃう? と個人的には想うのですが、殷がその王朝です。

 殷は、自称は商であったのではないか、とされています。それは甲骨文字あたりから伺えるのですが、殷とは、他国から見た際の呼び名、とみられています。
 にほん、にっぽんが商、JAPANが殷といえばわかりやすいかもしれません。
 では誰が殷という呼び方を一般化したのか、ということになりますと、これは司馬遷ということになるでしょう。「史記」には殷、と表記されています。

 まったく司馬って名前のやつぁ(笑)

 しかし、殷の国を商と呼んでいた方が正しいのではないか、という見方もあります。
 殷は滅亡後、宋に封じられます。あの「宋襄の仁」の宋です。
 守株という、あの「まちぼうけ」の元になったエピソードも、宋です。
 簡単にいってしまえば、先の王朝の子孫の国ですから、蔑視の臭いがあります。かなり誇張されている可能性は、考慮しなければならないかもしれません。
 紀元前286年、斉によって滅ぼされることで、殷の人たちは一種の政治的難民になります。斉の占領下で生活するもの、他国に出て自活の道を歩むものと様々ですが、このあたりはユダヤ人と非常にオーバーラップしてきます。
 ユダヤ人もやはり、難民として蔑視を受け、そのために経済という武器を手に取り、マスマス嫌われるわけですが(笑)、殷の人たちも、同じことをしたようです。

 宋が滅亡したのはいわゆる春秋の末期、そのため経済活動の勃興期にもあたっています。難民としては、戦争という商売の種もありますから、経済活動は比較的やりやすかったのかもしれません。
 まだ貨幣経済と物々交換の混在する時代ですから、取引というのはごろごろ荷物を引きながら他国を渡り歩く、日本でも戦国期の商人が、経済と同時に情報を武器として有力者に取り入ってきましたが、それに似たものだったのかもしれません。見た目はロマの荷駄隊のようなものでしょうか。

 国を持たず、経済力を背景として各国のパワーバランスの上に乗る形で生きていく人たち、そういう人たちに対する多少の蔑視もあったようです。
 彼らの多くは殷の遺民だったために、こういう経済活動をする人のことを商の人、つまり「商人」と呼ぶようになったと言われています。
 取引相手の人たちが「生国は?」などと尋ねたおりに、彼ら遺民は「商です」とこたえたのかもしれません。そう考えるとやはり、自称であったと思われる「商」のほうが、しっくりくるような気がするんですけれどねえ。

 私が初めてこのことを知ったときは、目から鱗が飛び出すパウロくらいびっくりしたのですが、みんないがいと「へー」なかんじなんだよなぁ(笑)
 なんでもっと素直に驚かないんだ。きみら感動が足りないぞ。

 実は、「いい作品がない」とか言ってる背景には、これもあるんですよね。
 何にでも感動する私もちょっと、こまりものですが。

 おやすみなさい。
パンヤー!
 ネットゲーやってるわりには、その手のネタ少ないな、うち(笑)

 結構しんどいので、こまかいことはまた明日にでも。
 そして書いておいたネタをコピって貼るだけですませる私(笑)

 なんか、マビノギのテンプレでてるようで、んなとこに力入れてるヒマあるのかよ、と突っ込みたくなりましたが。結局使いませんでした。やっぱ、ブログは変に凝ったことしているよりも、読みやすいテンプレが一番だとおもうのですが、どうでしょうか。

 どーもマシンが不調で、マウスカーソルがぶるぶる震えるんですよね。なんなんやろうか。ま、使えるので問題ないんですが。

 そんなかんじで「船頭一人なのに船 山に登る」いつもの調子で
 発禁
 から飛ばしますよ(笑)
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